5月25日に掲載しました「COVID-19 対策 トレーニングガイドライン」の一部を、下記の通り修正します。
<改訂内容>
・Phase-1における、ジョギングなどでのマスク装用について
→ 十分に間合いを取る。取れない場合はマスク装用が安心。
但し、マスク装用時は熱中症に注意し、運動強度を下げる。
・Ⅱ-b-①
直近2週間以前の体温37.0℃未満
→ 具体的な数値の記載を削除
5月25日に掲載しました「COVID-19 対策 トレーニングガイドライン」の一部を、下記の通り修正します。
<改訂内容>
・Phase-1における、ジョギングなどでのマスク装用について
→ 十分に間合いを取る。取れない場合はマスク装用が安心。
但し、マスク装用時は熱中症に注意し、運動強度を下げる。
・Ⅱ-b-①
直近2週間以前の体温37.0℃未満
→ 具体的な数値の記載を削除
昨年、東京都知事(小池百合子)が初めて訪れた東京都知事杯全国中学選抜大会は、2010年からスタート。6月の沼尻直杯全国中学生選手権とともに、中学生の目標の大会となった。
男子では、1年生で全国中学生選手権を制した38kg級の成國大志(東京・東深沢=GOLD KID’S)が同門決勝を制し、この大会でも1年生チャンピオンへ。85kg級の武田光司(埼玉・川柳3年=栄魂倶楽部JWS)、100kg級の園田平(滋賀・日野中3年)の全国王者も勝ち、二冠王者に輝いた。武田は現在、総合格闘技で活躍中。
73kg級決勝は、全国中学生選手権59kg級王者の水野真斗(京都・網野中3年=網野町教室)と同66kg級王者の白井勝太(東京・稲付中3年=JOCアカデミー)の対戦となり、水野がピリオド・スコア2-1で競り勝った。
【男子35kg級・決勝】
土井健生(青:大阪・山田中1=吹田市民教室)○[2-0(1-0,TF6-0=0:49)]
●新井陸人(栃木・陽南中1=宇都宮クラブ)
【男子38kg級・決勝】
成國大志(赤:東京・東深沢中1=GOLD KID’S)○[2-0(TF6-0=1:42,TF7-0=1:43)]
●桑田夏陽亜(東京・大森六中2= GOLD KID’S)
【男子42kg級・決勝】
長谷川敏裕(青:東京・駒留中2=GOLD KID’S)○[フォール、2P1:15(2-4,F4-0)]
●乙黒圭祐(東京・稲付中2=JOCアカデミー)
【男子47kg級・決勝】
前田頼夢(赤:福井・成和中3=福井クラブ)○[2-1(1-0=2:04,0-4=2:07,1-0=2:08)]
●藤波勇飛(三重・西朝明2中=いなべクラブ)
【男子53kg級・決勝】
小倉強太(赤:富山・戸出中2=高岡ジュニア)○[2-1(0-2,4-0,1L-1)]
●澤田龍人(東京・東山中3=AACC)
【男子59kg級・決勝】
奥田海人(青:神奈川・神田中2=東海ジュニア)○[2-0(1L-1,3-0)]
●伊藤奨(長崎・有明中3=有明クラブ)
【男子66kg級・決勝】
鈴木岳登(赤:茨城・朝日中3=霞ヶ浦アンジュ)○[2-0(4-0,1-0)]
●櫻井大輝(群馬・千代田中2=千代田ジュニア)
【男子73kg級・決勝】
水野真斗(青:京都・網野中3=網野町少年教室)○[2-1(1-0,5-5L,2-0)]
●白井勝太(東京・稲付中3=JOCアカデミー)
【男子85kg級・決勝】
武田光司(赤:埼玉・川柳中3=栄魂倶楽部JWS)○[2-0(TF7-0=0:24,TF6-0=1:09)]
●上原元気(兵庫・伊丹荒牧中3)
【男子100kg級・決勝】
園田平(赤:滋賀・日野中3)○[フォール、2P0:15(5B-5,F3-0)]
●坂田龍星(埼玉・飯能西中2=はんのうCSC山中道場)
2020年5月24日に発表した「(公財)日本レスリング協会 COVID-19 対策トレーニングガイドライン」におきまして、消毒方法に下記情報を追加いたします。
Ⅱ-b)-②
② シューズは上履きと外履きの区別を厳重に行う。また、マットに上がる際には必ずレスリングシューズのソール面を消毒してから上がりましょう。(消毒方法:靴底面にアルコール消毒液(エタノール70%以上)を充分に噴霧するか、次亜塩素酸ナトリウム液に浸した布の上に立ち十分に拭う)。新型コロナウィルスについては、その構造上、界面活性剤(家庭用洗剤)によっても消毒効果があります。詳細は下記のURLと巻末資料(PDF-3)をご参照ください。
1)https://www.nite.go.jp/information/osirase20200522.html
2)https://www.nite.go.jp/information/osirasedetergentlist.html
尚、一部の運動施設で消毒用に使用されているベンザルコニウム塩化物(オスバンなど)は前述の界面活性に加え、細菌に対する消毒効果を有する第4級アンモニウム塩も含まれており、新型コロナウィルス以外の細菌に対しても有効とされています。いずれにしても溶液や洗剤の希釈方法をきちんと守り、異なる種類の溶液との混合は絶対にしないようにご注意ください。
(文=共同通信記者・森本任)
レスリング、アマレスという単語は、幼少の頃から頭の中に刻まれている。サンダー杉山、マサ斎藤、ジャンボ鶴田、長州力、谷津嘉章、馳浩…。レスリングのオリンピック代表からプロレス入りという道にあこがれた。残念ながら家の近所にレスリング教室はなく、同じ格闘技の柔道を始めた。
高校時代に柔道とレスリングの二刀流選手と練習する機会があった。柔道で難なく勝てたが、道着なしでスパーリングをすると大苦戦。タックルは切れないし、寝技でも回された。その選手ですら、レスリングではインターハイ出場が精いっぱいのレベル。
レスラーは強いな。その思いを抱き続け、記者として担当となり、より感じるようになった。
レスリングの強さとは何か―。まずは過酷な練習に裏付けられたフィジカル面の強さだろう。科学的なウエートトレーニングに加え、自重負荷やパートナーと組んでの多種多様なメニュー。バック転などを軽々とこなす運動神経の良さも備える。
それでも世界では簡単に勝てない。選手の涙を何度も見た。2006年世界選手権(中国)の男子グレコローマン84kg級の松本慎吾(現日体大監督・日本協会男子グレコローマン強化委員長)の奮闘を思い出す。2004年アテネ・オリンピック7位、2005年の世界選手権は8位。重量級で外国勢と渡り合い、メダルを期待された。
この大会では欧州選手に2勝したが、準々決勝でジョージア選手に惜敗。「体力的には負けなかった。あとわずか、壁を越えなければ」と言葉を振り絞った。オリンピックや世界選手権のメダルに届かなかったが、アジア大会優勝などの実績を持ち、引退後は指導者として世界トップクラスの選手を育て上げている。
リオデジャネイロ・オリンピックを控えた2016年初夏、日体大の道場でオリンピック代表の太田忍(ALSOK)と当時学生の文田健一郎(現ミキハウス)が激しいスパーリングを行い、松本監督が見守っていた。
太田が投げれば、文田もすぐに反撃。太田が額から出血したが、拭き取ってテーピングを巻いて続行し、文田が躊躇なく攻める。松本監督は「負けず嫌いの2人だから、ぎりぎりまで闘わせます。強くなるには安易にリミットをつくらない方がいい」とぽつり。
負けず嫌い―。これも日本レスリングの伝統の強みだ。ライバル同士が、時には人間関係の悪化さえも招きながら切磋琢磨する。以前、オリンピック金メダリスト同士の対談を企画したことがあったが、双方から「無理です」とあっさりと断られた。現役時代から、お互いに怨念に近い感情を持ち続けている。ただ、レスラーとしてはお互いに最高の評価を与え、認め合っていた。
リオデジャネイロ・オリンピックでは、太田はあと一歩で金メダルを逃した。銀メダルの喜びよりも悔しさが上回っていた。すぐに東京オリンピックでの雪辱を誓った。トレーニング・パートナーとして支えてきた文田は、神妙な顔つきで「世界は甘くない。今の自分でも絶対に無理です。東京では自分が金メダルを取ります」と堂々と言ってのけた。
その後の激戦は言うまでもないだろう。太田がいたからこそ、文田は世界チャンピオンとなり、東京オリンピック代表の座を射止めた。
レスリングは激しく、魅力的なスポーツだと思う。アスリートとしてのレスラー、マット上の闘いは本物だ。まだまだ世間には届いていない。SNS時代に対応した一層の普及活動、情報発信が必要になる。
最近ではシングレット廃止論が話題になっている。恥ずかしいからレスリングを続けられない、なんてもったいない。こういう時も、レスラーや関係者の率直な意見を聞いてみたい。競技の激しさ、公正さを失わなければ、もっと冒険していいと思う。
森本任(もりもと・まこと)1975年生まれ、大阪府出身。1998年入社。レスリング取材は2005年から。2008年北京と2016年リオデジャネイロのオリンピックのほか、世界選手権、アジア大会なども取材。プロ野球、米大リーグ、大相撲、柔道、ボクシング、スキーなども担当。2011~14年は米国特派員。 |
■2020年5月30日:減量より筋力アップ! 格闘技の本質は“強さの追求”だ…波多江航(読売新聞)
■5月23日: 男子復活に必要なものは、1988年ソウル大会の“あの熱さ”…久浦真一(スポーツ報知)
■5月16日: 語学を勉強し、人脈をつくり、国際感覚のある人材の育成を期待…柴田真宏(元朝日新聞)
■5月9日: もっと増やせないか、「フォール勝ち」…粟野仁雄(ジャーナリスト)
■5月2日: 閉会式で見たい、困難を乗り越えた選手の満面の笑みを!…矢内由美子(フリーライター)
日本協会は6月5日、都内で理事会を開催し、オリンピックの1年延期に際し、今年3月までに内定となった男子3選手、女子5選手のオリンピック代表をそのまま維持することを承認した。オリンピックの延期が決まったあと、強化本部会は内定選手を維持することを決め、今回の理事会に提案。審議のうえ決定された。
同時に、来年3月に延期されたアジア予選(中国予定)と4月に延期された世界最終予選(ブルガリア予定)の出場選手も、延期決定前に決めたシステムを継続する。したがって、今年3月のアジア予選に出場する予定だった選手が、来年のアジア予選に出場。出場枠を取れなかった場合には、規定(下記参照)に従って世界最終予選に選手を派遣する。
今年12月に予定されている全日本選手権は、代表内定選手が出場しなくとも内定を取り消されることはないが、協会では出場を呼びかけるという。
全日本合宿は、7月2日の女子を皮切りに、各スタイルに分かれて東京・味の素トレーニングセンターで再開予定。スポーツ医科学委員会と強化委員会の定めたガイドラインに従って実施する。合宿参加選手には、抗体検査などが実施される見込み。
全国高校選抜大会に続いてインターハイが中止となったことに関連し、10月の鹿児島国体も中止になった場合、高校生の代替大会を男子は新潟、女子は静岡で開催する予定があることが報告された。女子は全日本女子オープン選手権があてられる予定。
国体は今月上旬に日本スポーツ協会によって開催の可否が決まる見通し。
《2021年東京オリンピック内定選手》=日本オリンピック委員会が承認するまでは「内定」と表記します
▼男子フリースタイル65kg級 乙黒拓斗(山梨学院大)
▼男子フリースタイル74kg級 乙黒圭祐(自衛隊)
▼男子グレコローマン60kg級 文田健一郎(ミキハウス)
▼女子53kg級 向田真優(ジェイテクト)
▼女子57kg級 川井梨紗子(ジャパンビバレッジ)
▼女子62kg級 川井友香子(ジャパンビバレッジ)
▼女子68kg級 土性沙羅(東新住建)
▼女子76kg級 皆川博恵(クリナップ)
《2021年アジア予選出場予定選手》
▼男子フリースタイル57kg級 樋口 黎(日体大助手)
▼男子フリースタイル86kg級 高谷惣亮(ALSOK)
▼男子フリースタイル97kg級 赤熊猶弥(自衛隊)
▼男子フリースタイル125kg級 田中哲矢(自衛隊)
▼男子グレコローマン67kg級 高橋昭五(警視庁)
▼男子グレコローマン77kg級 屋比久翔平(ALSOK)
▼男子グレコローマン87kg級 角 雅人(自衛隊)
▼男子グレコローマン97kg級 奈良勇太(警視庁)
▼男子グレコローマン130kg級 園田 新(ALSOK)
▼女子48kg級 須﨑優衣(早大)
オリンピック・アジア予選&世界予選への派遣選手選考基準(本HP 2019年11月28日掲載) 1, オリンピック・アジア予選への派遣選手選考基準 2, アジア予選でオリンピック出場枠が獲得できなかった場合における世界予選への選手選考基準 ・派遣選手は原則として、2019年度天皇杯優勝者とする。ただし、アジア予選の試合内容、コンディション状況(怪我の状況等)を踏まえて、過去実績を勘案し、強化本部と強化委員会で協議の上、2019年度天皇杯準優勝者を派遣する場合がある。 ・天皇杯優勝者が世界予選に出場し、オリンピック出場枠を獲得した場合 ・天皇杯準優勝者が世界予選に出場し。オリンピック出場枠を獲得した場合 |
6月5日:【追加情報】新型コロナ対策トレーニングガイドライン
6月3日:【修正】新型コロナ対策ガイドライン(マスク・体温について)
令和2年5月24日
(公財)⽇本レスリング協会
スポーツ医科学委員会
強 化 委 員 会
【注】本ガイドラインは日本政府や地方自治体、並びにスポーツ庁をはじめとして当協会が加盟・登録しているスポーツ関係団体からの要請や指導により改定される場合があります。改定時には本ホームページ上で周知いたします。
日本レスリング協会では、新型コロナウィルス(COVID-19)の感染拡大を最小限に抑え、選手が安全に練習を実施できる環境の整備に向けて、下記のガイドラインを作成しました。関係各所は下記の記載事項に留意し、万全の状態でトレーニングを実施するように努めてください。
尚、トレーニングの実施に際しては、実施する施設の利⽤規定が優先されますので、事前に必ず確認していただきますようお願いいたします。
感染拡大を防ぐために重要なことは、日常生活における自⼰管理の徹底と、体調不良時に練習に参加しない勇気です。選手は異変を感じたら無理せず、指導者に相談しましょう。また、指導者は練習に参加する選手の体調チェックは厳重に行ってください。
a)生活面
①3密(密集、密閉、密接)を避けた生活を徹底してください。
②うがい、⽯鹸を⽤いての手洗いと洗顔、手指消毒(アルコール濃度70%以上)の励行を徹底してください。
③体調の管理と行動記録:体温計測(1回/日以上)、体調、訪問場所を記録。
※直近2週間の体調・体温・行動記録はいつでも提示できるように準備。
④十分な睡眠時間と食事(栄養)の摂取を⼼がけてください。
⑤家族間においてもタオルや衣類の共有はしないようにしましょう。
⑥外出時はマスクを装⽤すること。
⑦不要不急の外出を控え、公共交通機関の利⽤も極⼒避けてください。
b)トレーニングの実施環境と種類
①初期は自宅内でストレッチングや自重での筋⼒トレーニング。
②屋外で行う場合は、単独で、周囲(5m程度)に人がいない場所で実施。
ジョギングなどは十分に間合いを取る。取れない場合はマスク装用が安心。但し、マスク装用時は熱中症に注意し、運動強度を下げる。
③トレーニング器具の共有は避ける、共有する場合は個人使⽤毎に消毒。
④自粛生活などで、十分なトレーニングが実施できなかったことによる身体的な影響についても、きちんと理解しておく必要があります。トレーニング再開時には⼀気に負荷を上げ過ぎず、段階的な強化を計画して実施してください。
https://www.jpnsport.go.jp/hpsc/Portals/0/katudousaikaiguideline.pdf 参照.
a)生活面
基本的には①〜⑥は維持すること。特に学校や経済活動の再開に伴い、他人と接触する機会が増えるので、⼀層の注意が必要です。外出時のマスク、手洗い、洗顔は必須です。外食は出来るだけ避け、混雑している店や時間帯は控えてください。
b)トレーニングの実施環境
①参加者は直近2週間前の発熱や感冒様症状(発熱、せき、頭痛、倦怠感、味覚や嗅覚異常)などがないことが条件。(参加者はPCR検査やその他の免疫学的臨床検査で感染の可能性が否定されていることが望ましい)
②シューズは上履きと外履きの区別を厳重に行う。また、マットに上がる際には必ずレスリングシューズのソール面を消毒してから上がりましょう。(消毒⽅法:靴底面にアルコール消毒液(エタノール70%以上)を充分に噴霧するか、次亜塩素酸ナトリウム液に浸した布の上に⽴ち十分に拭う)。巻末資料参照
③マットの清掃(清拭):練習開始前と開始後1時間、練習終了後の計3回消毒時間を設けましょう。消毒液の効果は⻑時間は持続しません。前日の練習終了後に清掃しても、翌日の練習前には必ず消毒作業を行ってください。
④練習再開後2週間程度(Phase-2)は出来る限り更衣室の使⽤は避け、可能な人は自宅・自室での更衣を⼼がけてください。やむを得ず更衣室を利⽤する場合は、同時に⼊室する人の数を制限し、2m以上の身体的空間(personaldistancing)を保つように⼼がけてください。更衣室内での会話も極⼒控えてください。
⑤タオルなどの共有は厳禁です。
⑥屋内トレーニングの際は十分に換気できる環境で実施してください。
c)トレーニングの内容と種類
①人数:再開後1〜2週間(Phase-2)はマット1面あたり選手6名、コーチ1名までとし、選手同⼠が接触しないトレーニング内容としてください。人数が多い場合は時間帯を変えるなど⼯夫して対応してください。トレーニング器具の共有は出来る限り避けてください。やむを得ず共有する場合は、個人使⽤毎に器具の消毒、もしくはグローブの装⽤などで対応してください。この期間が終了後(Phase-3以降)、マット1面あたりの最大参加人数は選手10名、コーチ2名まで増員可とします。
②内容:前述のように最初の1~2週間(Phase-2)は選手間の接触は禁止とします。この期間で発熱者や体調不良者がいなければ(Phase-3)、2人もしくは3人のグループで接触有りの練習(打ち込み、スパーリング、ペアトレーニング)に移行します。期間中はグループメンバーの変更は行わないでください。さらに次の段階(Phase-4A)にはマット1面につき10人までのグループ内トレーニングに移行します。期間中はグループメンバーの変更は行わないでください。
③さらに次のPhase-4B(1~2週後)では、グループ間のメンバー移動を許可します。
④新型コロナウィルス感染への警戒や自粛要請が解除されるか、当該都道府県で新型コロナウィルスの新規感染者数が1週間以上発生していなければ、所属(地域)を超えたトレーニング実施を許可します。しかしながらマット1面あたりの最大参加選手数(10名)は維持してください。(Phase-5を適⽤)
a)生活面
当面はⅠ−a):①〜⑦を遵守してください。
b)トレーニング実施環境
当面はⅡ−b):①〜⑤に則ってください
c)トレーニングの内容と種類
Ⅱ−c):④に準じます。練習内容に制限はありませんが、マット1面あたりの最大参加選手数(10名)は維持してください。
上記ガイドラインに沿ったトレーニングの実施過程において、体調不良者が発生した場合は下記の対応としてください。なお、指導者は万が⼀、参加選手に新型コロナ感染者が発生した場合は速やかに利⽤施設責任者と日本協会に報告すること。
a)Phase-1:該当選手は医療機関の受診、新型コロナ感染の有無にかかわらず、スポーツ活動再開の許可が下り次第、Phase-1から再開。
b)Phase-2:該当選手は医療機関受診し、適切な臨床検査を受ける。
新型コロナ感染(−)が確認され、症状が完全に消失ならPhase-2再開。
新型コロナ感染(+)が確認された場合、治療完了後、Phase-1から開始。
該当選手と同グループの選手は該当選手の検査結果判明まではPhase-1。
該当選手の新型コロナ感染(−)が確認されたら、Phase-2再開。
該当選手の新型コロナ感染(+)が確認されたら、Phase-1から再開し、Phaseupは1週間程度とする。(濃厚接触者と判定された場合は所定の隔離期間終了後)
Phase-3、4A:該当選手は医療機関受診し、適切な臨床検査を受ける。
・新型コロナ感染(−)が確認され、症状が完全に消失ならPhase-2から再開し、Phaseupは1週間程度とする。
・新型コロナ感染(+)が確認された場合、治療完了後、Phase-1から再開、Phaseupは1週間程度とする。該当選手と同グループの選手は該当選手の検査結果判明まではPhase-1。
・該当選手の新型コロナ感染(−)が確認されたら、Phase-3から再開、Phaseupは1週間程度とする。・該当選手の新型コロナ感染(+)が確認されたら、Phase-1から再開し、Phaseupは1週間程度とする。(濃厚接触者と判定された場合は所定の隔離期間終了後)
Phase-4B、5:該当選手は医療機関受診し、適切な臨床検査を受ける。
・新型コロナ感染(−)が確認され、症状が完全に消失ならPhase-2から再開、2週間程度で元のPhaseに戻る。
・新型コロナ感染(+)が確認された場合、治療完了後、Phase-1から再開、Phase-upは1週間程度とする。
該当選手と同⼀空間で練習した選手は該当選手の検査結果判明まではPhase-1に戻る。
・該当選手の新型コロナ感染(−)が確認されたら、Phase-4Aから再開し、Phaseupは1週間程度とする。・該当選手の新型コロナ感染(+)が確認されたら、Phase-1から再開し、Phaseupは1週間程度とする。(濃厚接触者と判定された場合は所定の隔離期間終了後)
<参考資料>
・Return to the Mat Guidelines; USA Wrestling.
https://content.themat.com/covid-19/USAW-Return-to-the-Mat-Guidelines.pdf
・新型コロナウィルス感染症(COVID-19)対策としてのスポーツ活動再開ガイドライン(HPSC版)
https://www.jpnsport.go.jp/hpsc/Portals/0/katudousaikaiguideline.pdf
・「新型コロナウイルス対策 ⾝のまわりを清潔にしましょう。」(厚⽣労働省啓発資料)
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000614437.pdf
※下記の写真は、《pdfファイル》に含まれています。
以 上
野球の世界では、「甲子園の優勝投手は、プロでは大成しない」という言葉がある。現在までに春夏合わせて200人近くの甲子園優勝投手がいるが、プロへ進んで100勝以上マークした投手は9人(日米通算の田中将大を含む)。現在、100勝に近い投手はおらず、「9人」は当分増えそうにない。
これ以外にも、いくつかのデータが、その言葉を証明している。肩とひじを中心とした体の酷使で心身がボロボロになっていることのほか、「プライドが邪魔をし、謙虚になって汗まみれの努力ができない」「アマでは飛び抜けていてもプロでは普通。飛び抜けていただけに、飛び抜ける工夫を考えることができない」などとつけ加える評論家もいる。
レスリングではどうか。インターハイの個人戦優勝選手(男子)が、どれだけオリンピック代表になっているかを調べてみた。
インターハイは1954年にスタート。2016年リオデジャネイロ・オリンピックの代表になった樋口黎が2013年大会で優勝しているので、2013年大会までを区切りとすると、複数回の優勝選手を含めて「432人」がチャンピオンになっている。
この中でオリンピック代表になったのは「45人」(10.4%)。すなわち、「9.6人に1人」の割合でしかない。インターハイは毎年、オリンピックは4年に1度という門の狭さの違いを考えても、意外に思う人もいるのではないか。
昭和時代は、高校に入学してからレスリングをやるのが普通で、2年4ヶ月のキャリアでの優劣は参考にならないとも考えられる。では、キッズ出身者が多くなった平成(1989年)以前と以降に分けて調べてみる。
■1954~1988年=インターハイ王者「254人」の中で、オリンピック代表は「34人」(13.4%=7.5人に1人)
■1989~2013年=インターハイ王者「178人」の中で、オリンピック代表は「11人」(6.2%=16.1人に1人)。
前者は国内予選を勝ち抜けば代表になれたのに対し、後者は世界とアジアの予選が導入されているので、これまた単純に比較はできまい。ならば、予選のない世界選手権を合わせた世界大会出場数を示してみる。
■1954~1988年=インターハイ王者「254人」の中で、オリンピック・世界選手権代表は「59人」(23.2%=4.3人に1人)
■1989~2013年=インターハイ王者「178人」の中で、オリンピック・世界選手権代表は「39人」(21.9%=4.6人に1人)
「インターハイ王者→日本代表」の割合は、キッズ・レスリングが盛んになる前の方が上回っているが、予選制導入、オリンピック階級数の削減などの理由を勘案すると、ほぼ同じと考えていい。インターハイ王者で世界選手権かオリンピックの日本代表になれるのは「4.6人に1人」、オリンピック代表になれるのは「16.1人に1人」というのが、予選制が導入された現在のレスリング界の数字ということになる。
キッズからの順調な成長の見本とも言える松永共広(現神奈川大コーチ)。全国少年少女5連覇~全国中学3連覇~2年連続高校三冠王~2年連続学生二冠王~全日本王者~2008年北京オリンピック出場=写真は北京大会
ちなみに、全国高校選抜大会、インターハイ、国体の年間3大会を制した選手はどうか。全国高校選抜大会で全国レベルの個人戦が実施された1975年から2013年までに、2年連続を含めて「107人」の高校三冠王者がいる。この中でオリンピック代表になったのは「16人(15.0%=6.7人に1人)」。無敵の高校王者でも、6~7人に1人しかオリンピックへ行けないのが現実で、本当に狭き門だ。
インターハイ優勝などの輝きは素晴らしく、決して否定されるものではない。一方で、その栄光はオリンピックへの道を保証してくれるものでもない。優勝を逃した数多くの選手がリベンジ魂を持って向かってくるし、年上の強豪選手との闘いも待っている。
オリンピックへの闘いは高校卒業後が本番。インターハイ王者を経験していない代表選手は何人もいる。致命的な故障がなく、実力を伸ばして大学と社会人の強豪が集まる過酷な闘いを勝ち抜いた選手がオリンピックのマットに立てるのであり、高校時代の実績ではないことを、データははっきりと示している。
No. | 選 手 名 | 三冠王達成年 | 階 級 | 所属高校 | オリンピック出場 |
16 | 樋口 黎 | 2013年 | 55kg級 | 茨城・霞ヶ浦 | 2016年 |
15 | 高谷惣亮 | 2007年 | 74kg級 | 京都・網野 | 2012・16年 |
14 | 磯川孝生 | 2002年 | 85kg級 | 大分・日本文理大付 | 2012年 |
13 | 松永共広 | 1997・98年 | 46・49kg級 | 静岡・沼津学園 | 2008年 |
12 | 小幡邦彦 | 1997・98年 | 74・76・90kg級 | 茨城・霞ヶ浦 | 2004年 |
11 | 井上謙二 | 1994年 | 54kg級 | 京都・網野 | 〃 |
10 | 小幡弘之 | 1986年 | +75・+87kg級 | 埼玉・埼玉栄 | 1988年 |
9 | 笹山秀雄 | 1984・85年 | 48kg級 | 青森・光星学院 | 1996年 |
8 | 赤石光生 | 1982年 | 65kg級 | 青森・光星学院 | 1984・88・92年 |
7 | 本田多聞 | 1981年 | +75・+87kg級 | 茨城・土浦日大 | 〃 |
6 | 小林孝至 | 1980・81年 | 48kg級 | 茨城・土浦日大 | 1988年 |
5 | 佐藤 満 | 1979年 | 48・52kg級 | 秋田・秋田商 | 1988・92年 |
4 | 宮内輝和 | 1978年 | +75・+87kg級 | 栃木・足利工大付 | 1980年 |
3 | 上村政和 | 〃 | 70kg級 | 鹿児島・鹿児島商工 | 1984年 |
2 | 栄 和人 | 〃 | 65kg級 | 鹿児島・鹿児島商工 | 1988年 |
1 | 富山英明 | 1975年 | 52kg級 | 茨城・土浦日大 | 1980・84年 |
2012年ロンドン・オリンピックへ向けて、折り返し点を過ぎた闘いとなった2010年全日本選手権は、男子フリースタイル66kg級で1か月前のアジア大会(中国・広州)金メダリスト、米満達弘(自衛隊)が優勝。決勝は、相性のよくなかった小島豪臣(K-POWERS)を接戦の末にピリオド・スコア2-1で破った。前年は負傷で欠場したので、2年ぶり2度目の優勝。
アジア大会銀メダルの74kg級・長島和幸(クリナップ)は決勝で国体王者の鈴木崇之(警視庁)を破って5年連続5度目の優勝。銅メダリストの磯川孝生(徳山大職)も勝って2年連続2度目の優勝。ともに地力を見せた。
55kg級は2009年世界選手権代表の湯元進一(自衛隊)、60kg級は2008年北京五輪銅メダリストの湯元健一(ALSOK=のちに銀メダルへ)が勝ち、初めて兄弟同時日本一を達成した。
《男子フリースタイル》
【55kg級・決勝】
湯元進一(青=自衛隊)○[2-0(1-0=2:05、TF6-0=1:23)]●松永共広(ALSOK)
【60kg級・決勝】
湯元健一(赤=ALSOK)○[2-1(0-3=2:05,1-0,2-0=2:30)]●高塚紀行(自衛隊)
【66kg級・決勝】
米満達弘(赤=自衛隊)○[2-1(0-2=2:16,3-0=2:07,1-0)]●小島豪臣(K-POWERS)
【74kg級・決勝】
長島和幸(赤=クリナップ)○[2-0(4-0,3-0)]●鈴木崇之(警視庁)
【84kg級・決勝】
松本真也(青=警視庁)○[2-0(2B-2,3-0)]●松本篤史(ALSOK)
【96kg級・決勝】
磯川孝生(赤=徳山大職)○[2-0(4-0,3-1)]●下屋敷圭貴(NEWS DELI)
【120kg級・決勝】
荒木田進謙(赤=専大クラブ)○[2-0(4-0,5-3)]●相沢優人(日大)
本年度登録の締め切りは、6月30日(火)で一旦締め切られます。
役員(都道府県協会の会長・理事長、傘下団体の会長、理事長)、学校・社会人の代表者(監督・コーチ)、審判員、専門委員、賛助会員(OB・OG会員)は、ご注意ください。
なお、選手(中学生、高校生、大学生、社会人、マスターズ)につきましては、9月1日(火)~10月31日(土)の期間、「追加登録期間」として登録することができますが、今月に登録を完了されることをおすすめします。
登録方法は、県協会を通じて、学校を通じて、個人でも、簡単だと思われる方法でご登録ください。
登録費は「競技者のためのサービス」の対価の一つとして日本協会は徴収しております。
主に大会への参加や記録の公認が、その目的となると思いますが、都道府県大会、インターハイ、国体だけが大会ではなく、勝ち進めば、オリンピック、世界選手権大会などの国際大会、強化合宿などに繋がっていきます。登録費は、それらの事業費に充てられます。
大会に参加する、しない。代表になる、ならない、で払う、払わない。登録する、登録しないは、個々人の自由だと思います。
しかし、登録は日本協会の根幹を成している部分でもあり、日本協会を下支えする収入源のひとつであることも事実です。
前回、インターハイ優勝など高校時代の実績は、必ずしもオリンピック代表につながらないことをお伝えした。逆に、高校時代に全国王者のない選手のオリンピックでの活躍をお届けしたい。
一口に全国大会と言っても、以前の高校生の全国大会はインターハイ(1954年スタート)と国体(個人戦は1953年に本格スタート=グレコローマンは1969年スタート)しかなかった。高校入学後にレスリングを取り組むのが普通で、2年半のキャリアでは素質を開花できなくとも、その後に花開いた選手は多く、「全国大会優勝なし」のオリンピアンは数多くいる。
金メダリストでも珍しいことではなく、1964年東京大会の渡辺長武、1968年メキシコ大会の金子正明、宗村宗二、1972年ミュンヘン大会の加藤喜代美、1976年モントリオール大会の高田裕司(現日本協会専務理事)が、高校の全国大会優勝を経験することなくオリンピックの頂点に立っている(他に、柔道からの転向3選手)。
直近の金メダリストである2012年ロンドン大会の米満達弘は、全国高校生グレコローマン選手権と国体グレコローマンで優勝していたものの、フリースタイルでの全国一はなかった。
ただ、全国王者はなくともメダルには手が届いていたのが普通で、大器の片りんは見せていた。唯一の例外が1972年ミュンヘン大会フリースタイル52kg級を制した加藤喜代美(北海道・旭川商高~専大卒)。1964年東京大会の吉田義勝、1968年メキシコ大会の中田茂男と、北海道旭川市出身選手でフリースタイル最軽量級の金メダルを続けたとして有名だが、吉田と中田がインターハイ王者だったのに対し、加藤は北海道2位だった選手。インターハイも国体も出場できなかったところから、オリンピックの頂点にたどりついた。
専大の推薦入試の資格を満たしていたかどうか不明だが、恩師(4月に死去された旭川協会顧問の赤松克則氏)が必死に頼み込み、入学できたという。それだけに、後には引けない思いが強かったようだ。加藤氏は今回の取材に対し、「インターハイで優勝していたら、満足してオリンピック出場はなかったと思います」とも振り返る。
他に、当時の北海道は競争が激しく、道2位でも全国3位は狙えるレベルだったことと、同期にインターハイ団体優勝の青森・八戸高の選手が多く入部し、「ハイレベルの中で鍛えられたことがよかった」と言う。大学2年生で全日本王者に輝くあたりは、レスリング王国・北海道出身者ならではの快挙だろう。《続く》
選 手 名 | オリンピック優勝の階級 | 出身高校 | 高校時代の主な成績 |
米満 達弘 | 2012年フリースタイル66kg級 | 山梨・韮崎工 | インターハイ2位(※1) |
佐藤 満 | 1988年フリースタイル52kg級 | 秋田・秋田商 | 高校三冠王(※2) |
小林 孝至 | 1988年フリースタイル48kg級 | 茨城・土浦日大 | 高校三冠王(※2) |
富山 英明 | 1984年フリースタイル57kg級 | 茨城・土浦日大 | 高校三冠王(※2) |
宮原 厚次 | 1984年グレコローマン52kg級 | 鹿児島・岩川 | 柔道からの転向 |
伊達治一郎 | 1976年フリースタイル74kg級 | 大分・佐伯農 | インターハイ優勝 |
高田 裕司 | 1976年フリースタイル52kg級 | 群馬・大泉 | インターハイ3位 |
柳田 英明 | 1972年フリースタイル57kg級 | 秋田・秋田商 | インターハイ優勝 |
加藤喜代美 | 1972年フリースタイル52kg級 | 北海道・旭川商 | 北海道2位 |
中田 茂男 | 1968年フリースタイル52kg級 | 北海道・旭川南 | インターハイ優勝 |
金子 正明 | 1968年フリースタイル63kg級 | 栃木・足利工 | インターハイ2位 |
宗村 宗二 | 1967年グレコローマン70kg級 | 新潟・巻農 | インターハイ3位 |
市口 政光 | 1964年グレコローマン57kg級 | 大阪・浪速 | 柔道からの転向 |
花原 勉 | 1964年グレコローマン52kg級 | 山口・豊浦 | 柔道からの転向 |
渡辺 長武 | 1964年フリースタイル63kg級 | 北海道・士別 | インターハイ2位 |
上武洋次郎 | 1964・68年フリースタイル57kg級 | 群馬・館林 | インターハイ優勝 |
吉田 義勝 | 1964年フリースタイル52kg級 | 北海道・旭川商 | インターハイ優勝 |
(※1)グレコローマンでは全国高校生グレコローマン選手権と国体で優勝。(※2)高校三冠王=全国高校選抜大会、インターハイ、国体
西日本学生連盟は6月9日、7月4日(土)~5日(日)に大阪・金岡公園体育館で開催予定だった西日本学生新人戦の中止を発表した。今後の大会予定や状況を見ながら、改めて実施をすることも含めて検討していくという。
同連盟では、5月開催予定だった西日本学生春季リーグ戦も中止されている。
日本協会、および傘下連盟主催の大会は、3月から現在までに15大会が中止、または延期となった。現段階で中止や延期が発表されていない大会は下記の通り。
8月25日(火)~28日(金):全日本学生選手権(岐阜・中津川市東美濃ふれあいセンター)
10月4日(日)~7日(水):国民体育大会(鹿児島・日置市吹上浜公園体育館)
10月15日(木)~16日(金):全日本大学グレコローマン選手権(東京・駒沢体育館)
10月未定:全日本女子オープン選手権(静岡・焼津市民体育館)
10月24日(土)~25日(日):全国社会人オープン選手権(埼玉・和光市体育館)
10月29日(木)~11月1日(日):西日本学生選手権(大阪・金岡公園体育館)
11月7日(土)~8日(日):全日本大学選手権(大阪・東和薬品RACTABドーム)
11月未定:全国中学選抜選手権(東京・駒沢体育館=予定)
11月24日(火)~26日(木):東日本学生秋季選手権(東京・駒沢体育館)
12月5日(土)~6日(日):西日本学生秋季リーグ戦(大阪・金岡公園体育館)
12月17日(木)~20日(日):天皇杯全日本選手権(東京・駒沢体育館)
イラン・レスリング協会ホームページは、6月8日にオンラインで行われた世界レスリング連盟(UWW)テクニカル委員会の会議の内容を掲載。今年後半に予定されている世界ジュニア選手権(セルビア予定)などの開催の可否の議論とともに、イランは2021年8月の東京オリンピックの約4ヶ月後に世界選手権を開催する提案をしたことを明らかにした。
会議に参加したのは、ネナド・ラロビッチ会長、同委員会のミハイル・マミアシビリ委員長(ロシア協会会長)のほか、アリ・アクバー・デュダンゲ(イラン)、リッチ・ベンダー(米国協会エグゼブティブディレクター)らの委員。最初に、今年のカデット、ジュニア、U23の世界選手権の開催を話し合ったという。
その後、ロシアは今年9月にシニアの世界選手権の開催を提案したそうだが、イランは「現在、イランではクラブが閉鎖されており、活動がいつ始まるかも分からない。予選をする時間もない」として反対し、米国も同調。提案されただけで議論されることはなかったとのこと。
イランは2021年12月に世界選手権の開催を提案した。東京オリンピックの1年延期に伴い、2021年7月に福岡で開催予定だった世界水泳選手権や、2021年8月に米国で開催予定だった世界陸上選手権は、いずれも2022年に延期され、多くの競技団体にとって2021年の世界選手権をどうするかは懸案事項のひとつ。
この問題については、今月1日に死去されたチェノ・チェノフUWW副会長(ブルガリア)が4月、ロイター通信に対して「オリンピック・イヤーではあるが、(2021年ノルウェー開催の世界選手権を)実施したいと考えている」とコメントしている。
次の世界選手権が2022年になると、オリンピック出場の望みが断たれた選手は2020年と2021年の2年間に渡って“世界一決定戦”の場がなくなることを憂慮し、「2021年は、より多くの選手に世界トップレベルの闘いのチャンスを与えたい」との方針を示していた。オリンピックは各スタイル6階級であるのに対し、世界選手権は10階級であることも、同年開催実施の必要性を主張するの理由のひとつだという。
UWWは全加盟国に対し、活動状況や今年の各世代の世界選手権の出場の可能性などのアンケートを実施。集計を勘案し、今月末ごろ、今年下半期のスケジュールを発表する予定という。
2010年全日本選手権の男子グレコローマンは、60kg級で世界選手権銀メダルの松本隆太郎(群馬ヤクルト販売)、55kg級でアジア大会優勝の長谷川恒平(福一漁業)という世界トップ選手が実力を発揮して優勝。1年8ヶ月後のロンドン・オリンピックへ向けて再スタートを切った。
一方、74kg級では伏兵の田村和男(早大)がアジア大会銀メダルの鶴巻宰(自衛隊)や世界選手権5位の金久保武大(マイ・スポーツ)を破って優勝する殊勲。現役・OBを問わず、早大の選手がグレコローマンで優勝したのは、1960年の利光紀(57級)以来、50年ぶりのことだった。
84kg級も学生四冠王(全日本学生選手権両スタイル、全日本大学選手権、全日本大学グレコローマン選手権)の岡太一(拓大)が決勝でアジア選手権2位の斎川哲克(両毛ヤクルト販売)を破って初優勝を達成。学生選手が奮戦した。
《男子グレコローマン》
【55kg級・決勝】
長谷川恒平(赤=福一漁業)○[2-1(0-1,1-0,1-0)]●峯村亮(神奈川大職)
【60kg級・決勝】
松本隆太郎(赤=群馬ヤクルト販売)○[2-1(2-0,0-3,4-0)]●倉本一真(自衛隊)
【66kg級・決勝】
岡本佑士(赤=拓大)○[2-0(2-0,3-0)]●笹本睦(ALSOK)
【74kg級・決勝】
田村和男(赤=早大)○[2-0(1-0,1-0)]●金久保武大(マイ・スポーツ・ハウス)
【84kg級・決勝】
岡太一(青=拓大)○[2-0(3-0,4-0)]●斎川哲克(両毛ヤクルト販売)
【96kg級・決勝】
北村克哉(赤=ドン・キホーテ)○[2-0(4-0,1-0)]●有薗拓真(山梨学院大)
【120kg級・決勝】
新庄寛和(赤=自衛隊)○[2-1(0-1,1-0,1-0)]●中村淳志(カンサイ)
(文=東京スポーツ新聞・渡辺学)
私も何事かを吠えた(もう覚えていないが…)。日付が1991年12月31日から92年1月1日に変わる頃、伊豆大島でバルセロナ・オリンピックに向けた越年合宿に臨んでいた選手たちは、深夜の山道を走り、神社で必勝を祈願した。
その後、個々に新年への思いのたけを叫ぶことになり、取材者である私にもお鉢が回ってきたのだった。
前回のソウル・オリンピックに際しては、500日合宿を敢行したレスリング。バルセロナへと続く道のりは険しく、1991年世界選手権(ブルガリア)では32年ぶりの「メダルなし」の屈辱を味わった。
東京・竹芝ターミナルから大型客船で6時間(高速ジェットで1時間45分)のところにある伊豆大島に集まった選手たちは、初詣ランから夜が明けるや、伊豆の海に飛び出し、寒中水泳や騎馬戦で士気を高めた。マット練習は、当時プロレス界を席巻したSWSの道場。みんなでついた餅、寄せ書き、騎馬戦勝者へは“お年玉”も。その内容は記事執筆(当時はリアル手書き→FAX送信)で取捨選択に困るほどバラエティーに富んでいた。
1996年のアトランタ・オリンピックへの年越し合宿は山梨・甲府市で、やはり「ゆく年くる年」の放送頃に神社へと駆けた。2000年シドニー・オリンピック前の伊豆稲取合宿を経て、21世紀になっても、2004年の新年は茨城県大洗海岸、2008年は東京のお台場海浜公園で寒修行を行った。
だが、同年にナショナルトレーニングセンター(NTC=現味の素トレセン)が開所して以降は、恒例のオリンピック・イヤー越年合宿は、味の素トレセンでの実戦的練習が中心になっているようだ。
冒頭の大島合宿に戻ると、参加選手がこう語っている。「正月に合宿をした、という気持ちが大切です。正月にやった練習はすごく自信につながる。寒中水泳とかやって、これで強くならないとバカらしいですよ」
実は、大島での合宿には不参加組もいた。儀式めいた内容に背を向けたのか。独特のスタイルにはコーチ陣から「否定も肯定もできるけれど、『何かをやった』という気持ちは胸に残る。けじめをつける意味で、こういう合宿もいいと思う。人間、燃える時は徹底して燃えないと。たまにはバカにならなきゃ」との声が聞かれた。
私は何も“古き良き時代”を懐かしんでいるのではない。他の競技ではまず見られない発想とその実行はレスリングならではであり、大事にしてもらいたいと思う。
実際、レスリングは「奇抜さ」の宝庫と言える。古くは、動物園でライオンとにらめっこし、沖縄や奄美大島名物のヘビとマングースの対決ショー(現在は動物愛護法によって禁止)の見学、真夜中にたたき起こして行ったという合宿練習、自衛隊空挺団でパラシュート降下練習、富山での滝打たれ、茶&黙想修行…。
1991年のフリースタイル・アジア選手権では、選手らが開催地ニューデリーの動物園を訪れる機会があり、ライオンとのにらみ合いを果たそうとしたコーチがいたことが記憶に残っている。
こうしたエピソードを、我々メディアは「八田イズム」(関連記事)とくくって、「ネタになる」と面白がりがちだ。その根底にある強化につながる発想力に、もっと目を向けるべきだったと今さらながらにして思う。
かつては「寝技選手権」が実施され、実現はしなかったと思うが、「タッグマッチ」導入がぶち上げられたこともあった。奇抜さを見せるのはオリンピック・イヤー越年合宿でなくても、いくらでもその機会はあるだろう。
新型コロナウィルスのため、2年連続でオリンピックの年を迎える珍しい経験をするアスリートたち。レスリングでは常識を超える何かを見たい。
渡辺学(わたなべ・まなぶ)1990~94年頃までレスリングを継続的に担当し、インド、イラン、ブルガリアなどの遠征に同行。2001年頃まで散発的に取材。他にゴルフ、ラグビー、陸上、アメリカンフットボール、サッカーなどを担当。オリンピックの現地取材は夏季1回、冬季3回。運動部、文化部のデスクを経て、現在は編集局次長兼法務広報室長。 |
■2020年6月5日: レスラーの強さは「フィジカル」と「負けず嫌い」、もっと冒険していい…森本任(共同通信)
■5月30日:減量より筋力アップ! 格闘技の本質は“強さの追求”だ…波多江航(読売新聞)
■5月23日: 男子復活に必要なものは、1988年ソウル大会の“あの熱さ”…久浦真一(スポーツ報知)
■5月16日: 語学を勉強し、人脈をつくり、国際感覚のある人材の育成を期待…柴田真宏(元朝日新聞)
■5月9日: もっと増やせないか、「フォール勝ち」…粟野仁雄(ジャーナリスト)
■5月2日: 閉会式で見たい、困難を乗り越えた選手の満面の笑みを!…矢内由美子(フリーライター)
2019年の国内30大会の記録(各階級1~8位記録)、日本が参加した国際20大会の日本選手成績(1回戦~)が掲載されている「オリンピック・レスリング」No.63は完売しました。ご購読、ありがとうございました。
第2波襲来の懸念も抱えながら、「自粛から自衛」への局面を迎えた新型コロナウィルス対策。社会活動の動きが活発になる中、スポーツ界も少しずつ動き出している。
緊急事態宣言の解除が一番遅かった東京都にあるキッズ教室「ドン・キホーテ・キッズ・レスリングチーム」(TEAMドン・キホーテ)は6月13日、約2ヶ月半ぶりにマット活動を再開した。日本協会の定めたガイドラインに従い、人数も時間も通常の土曜日の半分にも満たず、打ち込みもない練習だったが、復活へ向けての序章が幕を開けた。
レスリング場は、東京・上野の店舗ビルの7階にある。ドン・キホーテは日常雑貨を扱う店なので、緊急事態宣言下でも店はオープンしていた。社をあげて感染防止対策に取り組んでおり、客にも従業員にも感染者は出ていない。それだけに、高田浩也代表は「レスリング教室から感染者を出すわけにはいきません」と気を引き締める。
レスリング場へ向かうエレベーター入口とレスリング場入口に消毒液が置いてあり、入念な感染予防を実施。練習前には消毒液でマットをきれいに清掃し、入口と窓の開放、エアコンと2台の扇風機のフル回転など、練習環境には万全を期している。
ガイドラインによる「Ⅱ、緊急事態宣言解除後」の「引き続き自粛要請や警戒が必要な時期」は、マット 1 面あたり選手 6 名、コーチ 1 名までとし、選手同士が接触しないトレーニングの時期。部員は約20人いるが、この日は6人が集合。「体力を戻し、レスリングを思い出す」(高田代表)を主眼に、補強トレーニングとシャドー・レスリングを中心に約1時間、汗を流した。
ガイドラインに従い、折り返し点の30分頃には練習を中断し、消毒液を使ってのマット清掃を実施。選手が固まって雑談しそうになると、「固まっちゃ駄目だ。距離をとれ」と感染防止対策は、念には念を入れた
飛沫感染を防ぐため、練習中は選手同士が向き合うことなく、スクワットや腕立て伏せは壁に向かった状態で実施。補強トレーニングは、普通は一人が号令をかけ、他の選手が呼応する形で行われるが、掛け声は唾(つば)を浮遊させる可能性があるので中止。交代で一人のみが小さな声で号令をかけることとした。
これはけっこう大変で、選手から「声を出せないのは、きつい」との声が上がった。高田代表は「経験ないから分からないよ」と苦笑いし、指導者にとっても手探りの状況のようだ。
それでも「息を上げちゃダメ、ということはない。全力でやって体力を戻すんだ」と伝え、選手には厳しさを求めた。自粛期間中は、知り合いのクラブのオンライン練習に参加するなど、各自が工夫してトレーニングしていたとのことだが、個人差があるし、限度もある。「やはり体力は落ちていますね」と高田代表。
この日は雨のため中止したが、本来なら練習の最後に近くにある不忍池周辺や湯島天神の階段のラニングをする予定だった。今後は、ランニングも取り入れて体力を戻していく腹積もりだ。
学校が通常通りになると、時差練習には限界が出てくる。電車で通う選手も多く、練習後は通勤時間帯と重なることになって感染の可能性も高くなるので、悩みは尽きない。しかし、約1時間の練習終了時には、「はや(早い)!」と物足りなさを口にした選手もいて、高田代表の表情は明るい。“レスリング人”は、マットの上こそが気持ちが高揚する場だ。
だれも経験したことのない手探りの状況が続く中、“普通”に向けて動き出したことは間違いない。高田代表は「徐々に選手の気持ちも戻していきたい。みんなレスリングを習いに来ているので、組み合いをしたいと思うが、体力が戻らないうちにやったら危険。その日を目指して、しっかりやっていきたい」と気を引き締めた。
■堀池建太(中学3年)「自粛期間中でもランニングは毎日やるようにしていました。筋力面は、NHKの動画を見ながらやってきました。全国大会がなくなり、寂しい気持ちになりましたが、選抜(全国中学選抜選手権)はあると思うので、それに向けてやっていきたい。2ヶ月半ぶりにマットに来て、楽しい気持ちになりました」
■角本大地(中学3年)「YouTubeでトレーニングの動画を見て、ランニングや筋トレをやってきました。毎日動くように心がけていましたので、体力はそんなに変わっていないと思います。マットに帰ってきて気持ちが切り替わりました。全国大会がなくなるのは覚悟していました。次の大会を目指したいと思います」
■岩崎航大(中学1年生)「この2か月間、毎日午後6時から1時間半、オンライン・トレーニングをやっていました。それでも、少し体力が落ちたと思うので、また頑張りたい。これから、みんなと楽しく練習したい。全国大会がなくなって残念でしたけど、その分、練習できる時間が増えたと思います。気持ちは落ちていません」
■加瀬藍丸(小学5年)「この2ヶ月半、家で走ったり、腕立て伏せ、けんすいなどをやってきましたけど、体力は落ちていると思います。ずっと行きたかったマットに来られたので、うれしいです。全国大会に出てメダルを取りたかったけど、次の大会に向けて頑張りたい。ここ(レスリング場)で体力を戻したい」
■志賀隆太郎(小学5年)「家の階段を走ったり、トレーニンググッズで筋トレをやってきました。全国大会がなくなったのは悲しかったですけど、まだ来年があるので、頑張りたい。レスリングの練習ができるのはとてもうれしいです。気持ちは盛り上がっています」
■高田琉也(小学6年)「この2ヶ月半、たまに走るくらいで、あまり練習はできなかった。久しぶりにレスリング場に来て、久しぶりに会った人もいてよかったです。全国大会はなくなりましたが、(今後の)合宿とかで自分の実力を確かめたい。今後も気持ちを切らすことなく、できると思います」
岡山・おかやま山陽高校の横山茂嘉監督より、岡山県高等学校体育部会(6月9日予定=延期)で発表する資料を「レスリングの選手、若い指導者の知識の足しになり、平和の大切さを体感していただければ」と投稿していただいた。
2013年のレスリングのオリンピック競技からの除外危機の時には、率先して署名活動に取り組み、全国一の署名数を集めるなど、レスリングの発展に情熱に取り組んできた(関連記事=2013年3月12日)。
運動の基礎・オンライン授業・陸上競技とレスリングを通してスピードの育成、体の使い方を実践し、動画にアップしている。同時にお届けしたい。
オリンピックに学ぶ
心豊かに、たくましく、未来を拓く、人材の育成を目指して
おかやま山陽高等学校
主幹教諭 横山 茂嘉
1936年7月、ドイツ・ベルリンで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会で、1940年のオリンピックは東京に決定した。場所は駒沢。東京市は駒沢に11万人を収容できる世界最大のスタジアムを建設する計画を立てた。しかし、それから1年も経たない1937年7月に日中戦争が勃発した。日本は世界から孤立し、東京オリンピックの開催に批判が浴びせられた。
IOC委員の嘉納治五郎は、1938年3月、エジプト・カイロで開かれたIOC総会に出向き、そこで各国の委員を説得し、改めて東京開催を決定させた。しかしその帰路、5月4日に氷川丸船内で死去。情勢はますます悪化し、2カ月後に日本はオリンピックを返上した。
嘉納は東京オリンピックの開催を信じて帰らぬ人となった。「命絶えようとも、わしの思いは尽きぬ」。
東京で行われるはずだったアジア初の平和の祭典は戦争に取って代わられ、東京の代替地として開催される予定だったフィンランド・ヘルシンキ、4年後のイギリス・ロンドンの時も戦争は止まず、オリンピックは2大会連続して中止となった。そして1945年8月15日、日本が降伏して太平洋戦争は終わった。
終戦から3年後、1948年ロンドンオリンピックは開催されたが、日本は参加を認められなかった。そこで日本水泳連盟は、現地と同日同時刻に日本選手権を実施した。そのレースで、若きエース古橋廣之進は、現地のオリンピックの優勝記録より速いタイムを叩き出した。
世界は驚き、日本国民は奮い立った。仕掛け人は嘉納に仕えていた田畑政治。「嘉納先生の想いは俺が果たす。」田畑の東京オリンピック開催計画が動き出した。
時は流れ、1959年5月に西ドイツ・ミュンヘンで行われたIOC総会で、再び東京オリンピックの招致に成功した。日本政府を納得させるためには、経済効果という文言は有効であった。三種の神器、新幹線開通、高速道路の建設、日本は高度経済成長を遂げた。そしてワシントンハイツの返還にも成功、選手村や放送局も完成し準備は整った。開会式は1964年10月10日、国立霞ヶ丘陸上競技場で華やかに開催された。
ギリシア・オリンピアで灯された聖火には平和への願いが込められた。栄光の最終聖火ランナーには、1945年8月6日のその日、広島県で生をうけた陸上選手、19歳の坂井義則君が抜擢された。トラックを鮮やかに駆け抜け、聖火台に誓いの火をかざすその姿は輝ける未来を予感させた。
競技が始まると、日本はウエイトリフティングの優勝で勢いが付き、体操5・レスリング5・ボクシング1・柔道3・女子バレーボール1の合計16個の金メダルを獲得し大会は大いに盛り上がった。そして何より価値のあることは、日本国民が、国や地域を問わず参加選手に敬意を表し、賞賛の拍手を送ったことだった。
日本人は東京オリンピックから愛を学び、未来へのスタートラインに立った。
令和元年、私は駒沢公園の広場を歩いている。広場の東側には立派な競技場が見える。すると、ふとある思いが浮かんできた。もし、あの時代が争いのない平和であったなら、「君は世界の中心で、青春のすべてを賭けた魂の祭典を体験したはず」。幻の歓声と悔し涙が雲の中に消えていく。
1964年、東京オリンピックの閉会式は、国別に整然と挙行する予定だったが、選手達は国境を越え、手をつなぎ、弾けるような行進をした。観客も選手も一体となり会場は大歓声に包まれ、平和の祭典を体現した眩いばかりの情景であった。
あの日、雲の中に消えた歓声と悔し涙は、雲の上でひとつになって舞い降りてきたのか。聖火は、人々の心に希望の火を灯し、静かにその姿を消した。
2020年、半世紀を超えて東京にオリンピックが帰ってくる。国家を代表する努力の天才たちは、真のスポーツマンシップを発揮してくれるだろう。そして、大空に放つ希望の矢が、宇宙に届く平和の光になることを願ってやまない。
年 表 | 解 説 |
・BC776年 第1回 オリンピア | ・オリンピックに学ぶ |
・AD393年 第293回 オリンピア | |
~1500 years have passed~ | ・永田秀次郎・平沢和重 |
・1896年 第1回 アテネ | |
・1912年 第5回 ストックホルム(日本初参加) | ・跳躍の偉才 |
・1936年 第12回 東京(決定) | |
・1938年 第12回 東京(返上) | ・体操の神様 |
・1940年 第12回 ヘルシンキ(中止) | |
・1944年 第13回 ロンドン (中止) | ・1969年アポロ11号月面着陸 |
・1948年 第14回 ロンドン(参加できず) | |
・1959年 第18回 東京(決定) | ・1980年モスクワオリンピック |
・1964年 第18回 東京(開催) | |
・2013年 第32回 東京(決定) | ・岸清一体育館 |
・2020年 第32回 東京(開催予定) | |
・2024年 第33回 パリ(開催予定) | ・未来のオリンピック |
・2028年 第34回 ロサンゼルス(開催予定) | パラリンピック |
光輝くエーゲ海,古代ギリシア文明が栄えたアテネには,繁栄の象徴であるパルテノン神殿がそびえる。眼下に広がる白い町並みにはギリシャンブルーが注がれ,まさに神秘の歴史を感じさせる。ここでは独特の芸術や文化が育まれ,なかでも人々の心を魅了してやまないオリンピックはこの国で産声をあげた。
紀元前8世紀、古代ギリシアには、各地域にポリスと呼ばれる都市国家が存在していた。ギリシア国内では、生死を賭けたポリス間の争いが絶えることなく、国の存在すら脅かすようになっていた。しかし、それに危機を感じた者たちが立ち上がった。
古代の人々のなかにも、平和には普遍的価値があると信念を抱いた者たちがいた。そのなかにオリンピアを治めていたイフィトスという王がいた。イフィトスは、太陽神アポロンに教えを請うた。すると、「全能の神ゼウスに捧げる祭典、オリンピックを行え」。とお告げを受けた。イフィトスは、そのことをギリシア全土に伝え、オリンピアに猛者を集結させた。そして、ここに聖なる休戦、第1回オリンピックが紀元前776年に開催されたのだ。
古代の人々の崇高な精神によってオリンピックは開催され、その舞台では絶対に不正は許されず、ルールは厳格を極めた。
第1回古代オリンピックでは、約191mを走って競うスタディオン走の1種目だけであった。その後、中距離走・長距離走・走り幅跳び・槍投げ・円盤投げ・レスリング・ボクシング・そして馬車競技などと発展していった。
67年のオリンピックでは、生涯「暴君」と呼ばれた皇帝ネロが馬車競技で落車し、リタイアしたにもかかわらず優勝となった。審判員がネロを恐れていたためだ。これに対し、観衆は猛然と抗議の声をあげた。翌年、ネロが亡くなり、その大会は歴史から抹消された。
すべての人間は平等で一人一票の原則。ギリシアは世界で初めて民主主義を確立した。また、その精神はオリンピックにも受け継がれ、1170年間もの繁栄を誇った。しかし、紀元前146年、ギリシアはローマ帝国に支配され、ギリシア以外の地中海全域からも競技者が参加するようになり次第に変容を遂げていく。やがてオリンピックも衰退し、393年に終焉を迎えた。
1500年もの時を経て救世主が現れた。フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵だ。クーベルタンは、1896年にオリンピック発祥の国、ギリシア・アテネで第1回近代オリンピックを開催し、見事に復活させた。その大会で行われた競技は、陸上・水泳・体操・レスリング・フェンシング・射撃・自転車・テニスの8競技。ウエイトリフティングは体操として実施され、ヨットは悪天候のため中止となった。1900年はフランス・パリ、1904年はアメリカ・セントルイスと世界に広がっていった。
このように2800年も前からオリンピックは存在し、1170年の歴史を築き、1500年の空白を経て、そこから130年が経過し、現在の姿となった。
2020年、東京から放たれる70億人の希望の矢が宇宙に届けば、300年後はどうなっているのだろうか。宇宙のどこかで、オリンピック・パラリンピックの選手が共に競い、ひとつになっているかもしれない。
私が10歳の時、アメリカが打ち上げたアポロ11号が月面に着陸して半世紀が過ぎた。あのときの興奮と感動は今も忘れない。テクノロジーと愛が調和した瞬間だった。
ラグビー・ワールドカップが日本で開催された。ラグビーは15人がそれぞれの役割を果たし、後ろにパスを回しながら前に向かってトライする競技だ。試合終了でノーサイド。前へ、未来へ。
スペインの建築家、アントニオ・ガウディは、一代ではなし得ない闘いに挑んだ。サグラダ・ファミリアの建造である。その意思は、ガウディ亡き後も受け継がれている。藍から学び青となり、夢を形に。
最後に、私はオリンピック出場を夢見て、大学からレスリングをスタートさせた。しかし、1年生の冬に全治2年という思わぬ事故に見舞われ、大学では選手としての実績を残すことはできなかった。それでも教員になり、1984年ロサンゼルスオリンピックの選考会に出場するだけの力はつけた。描いた夢には遠く及ばなかったが、怪我と復活から多くのことを学んだ。その経験は今でも生きている。
それは、常に学び続ける心。そして学ぶ人を応援する心だ。その心を忘れず、これからも師弟同行を胸に歩んでいこうと思う。
56歳の時、近代オリンピック発祥の地、ギリシア・アテネで開催された世界マスターズに出場した。また新しい学びを発見できた。
オリンピックでメダルを取った男子の日本選手は47人。1956年メルボルン大会までは高校レスリングとの関連づけはできないとして、1960年ローマ大会以降は41人。このうち、16人(39%)が全国大会での優勝の経験がないところからのメダル獲得で、11人は全国3位以内の経験もないか、柔道からの転向者だった。
現在のグレコローマン選手が聞いたら心外だと思うが、以前、グレコローマンは格下に見られ、「フリースタイルで結果を出せない選手がグレコローマンに取り組む」という風潮があった。グレコローマンのオリンピック代表は、高校時代に全国大会優勝の経験がないのが“普通”だった。
1960年ローマ大会では青海上(79kg級)がインターハイと国体で2連覇を達成していたが、1964年東京大会と1968年メキシコ大会のグレコローマン代表は、柔道からの転向選手を含めて全員が高校時代に全国王者の経験がない選手だった。
1972年ミュンヘン大会では、斎藤真(100kg級)が国体フリースタイル優勝の経験を持ってグレコローマン代表となったが、1976年モントリオール大会では、再び全国王者皆無のメンバーだった。
その中でも、オリンピックでは金メダル(花原勉、市口政光、宗村宗二)、銀メダル(藤本英男、平山紘一郎)、銅メダル(平山紘一郎)を取り、世界チャンピオン(藤本英男)も生まれたのだから、グレコローマンの強化もしっかりしていた。
1980年モスクワ大会では、グレコローマンの国体王者に輝いた選手が代表へ(藤森安一、宮内輝和)。1984年ロサンゼルス大会では江藤正基、1988年ソウル大会では出口一也のインターハイ王者がグレコローマンの代表になった。グレコローマンの大会も新設され、置かれている状況も徐々に変わっていき、2000年シドニー大会以降の5大会では、複数回出場の選手を含めて13人中8人が高校時代に何らかの全国大会を制している選手となった。
全国王者なしからの一人が、2000年シドニー大会と2004年アテネ大会に出場した永田克彦(千葉・成東高~日体大卒)。前者は銀メダルを獲得した。野球から転向した高校時代は全国高校選抜大会、インターハイ、国体には出場できず、関東高校大会の出場もない。全国高校生グレコローマン選手権が唯一の全国大会で、4回戦敗退。
前回紹介した1972年ミュンヘン大会金メダルの加藤喜代美の場合、全国大会出場なしとはいえ、ハイレベルの北海道の2位は全国の3位近くに相当していたという。永田は3年生のインターハイと国体の県予選は、ともに準決勝で年下選手に負けたそうなので、加藤のようなレベルでもなかった。キッズからの経験者が多くなっていた時代でもあった。“底辺からのはい上がり”という点では、日本レスリング界ナンバー1と言えよう。
永田は「大学に入った時は練習についていけず、下の階級の先輩にもボロ雑巾のようにされました。日体大で強くなった過去の先輩達の話を聞いて励みになり、見返してやるという反骨エネルギーで頑張ることができました」と振り返っている。《続く》
選 手 名 | オリンピック成績 | 階 級 | 出身高校 | 高校時代の主な成績 |
永田克彦 | 2000年2位 | グレコローマン69kg級 | 千葉・成東 | 全国高校グレコ選手権四回戦 |
宮原 厚次 | 1984年優勝・88年2位 | グレコローマン52kg級 | 鹿児島・岩川 | 柔道からの転向 |
長島 偉之 | 1984年2位 | フリースタイル82kg級 | 栃木・足利工 | 柔道からの転向 |
工藤 章 | 1976年3位 | フリースタイル48kg級 | 岩手・宮古 | インターハイ2位 |
高田 裕司 | 1976年優勝 | フリースタイル52kg級 | 群馬・大泉 | インターハイ3位 |
荒井 政雄 | 1976年3位 | フリースタイル57kg級 | 山口・柳井商工 | 国民体育大会5位 |
菅原弥三郎 | 1976年3位 | フリースタイル68kg級 | 秋田・五城目 | 国民体育大会5位 |
平山紘一郎 | 1972年2位・76年3位 | グレコローマン52kg級 | 鹿児島・鹿児島工 | 柔道・重量挙げからの転向 |
加藤喜代美 | 1972年優勝 | フリースタイル52kg級 | 北海道・旭川商 | 北海道2位 |
金子 正明 | 1968年優勝 | フリースタイル63kg級 | 栃木・足利工 | インターハイ2位 |
藤本 英男 | 1972年2位 | グレコローマン63kg級 | 徳島・穴吹 | インターハイ4位 |
宗村 宗二 | 1968年優勝 | グレコローマン70kg級 | 新潟・巻農 | インターハイ3位 |
市口 政光 | 1964年優勝 | グレコローマン57kg級 | 大阪・浪速 | 柔道からの転向 |
花原 勉 | 1964年優勝 | グレコローマン52kg級 | 山口・豊津 | 柔道からの転向 |
堀内 岩雄 | 1964年3位 | フリースタイル70kg級 | 富山・滑川 | インターハイ5位 |
渡辺 長武 | 1964年優勝 | フリースタイル63kg級 | 北海道・士別 | インターハイ2位 |
(文=布施鋼治)
当初の予定では、もうすぐ東京オリンピックを迎えるはずだった。女子57㎏級の川井梨紗子(ジャパンビバレッジ)は2016年リオデジャネイロ大会に続き、2大会連続で金メダル獲得を期待される存在だった。
しかし、いま彼女は新型コロナウィルスという敵と対峙している。「自分は新幹線を使う機会が多いので、今年1月くらいにコロナウィルスが日本に入ってきたあたりから、かなり警戒していました」
今年4月、プロ野球・阪神タイガースの藤波晋太郎投手ほかの感染が発覚すると、コロナウィルスとの距離はさらに縮まった。「それまではお年寄りや基礎疾患のある方がかかるものだと思っていました。アスリートでもかかるということを知ってから、さらに危ないと思いましたね」
練習の拠点である至学館大レスリング部は3月末から練習自粛となり、6月中旬となった現在もマット練習はできない状況が続く。「最初は、個人練習はいいんじゃないかという感じだったけど、『何かあったら大変だから』という理由でダメになりました」
「授業でレスリング道場を使うこともあるので、なかなかそう簡単にはいかない。マット練習の再開は状況を見ながらということになると思います」
6月上旬現在、レスリングの練習は全くといっていいほどやっていない。現在の練習は使用許可が出た大学のウエートトレーニング場が中心。コロナウィルスが拡大する前、ウエートトレーニングの指導は国立スポーツ科学センター(JISS)のトレーナーに診てもらっていて、名古屋と東京を行き来する生活だったという。今はどうしているのか。
「(妹の)友香子と至学館でウエートトレーニングをしている時、テレビ電話で診てもらっています。以前は名古屋と東京が半々だったので、早く元の生活に戻したい」
時代の空気を読み、開催の1年延期は何となく予想していた。おかげで大きなショックを受けることもなかった。「延期は残念だけど、自分ではどうすることもできないし、こういう状況では仕方のないことだと思う。レスリングは健康でないとできないので」
リオデジャネイロ前は、オリンピックに出場するため階級変更という試練が待ち受けていた。今回は全く別の試練だが、川井は「オリンピックを目指しているアスリート全体の試練」ととらえている。「その試練を乗り越えてこそのオリンピック。そんなに楽をしてオリンピックを迎えられるわけでもないのかな、と。苦しいと思うけど、のちに自分の人生を振り返った時に『コロナの試練も乗り越えた』という思い出話になれば…」
以前、川井は妹が入寮していた至学館大レスリング部の寮で朝食と夕食を一緒にとっていた。コロナウィルスが拡大した現在、寮には立ち入れないことになり、食事も自分たちで作るようになった。「料理の腕は上がったと思います。ずっとやってこなかったことなので、あらためてお母さんや寮母さんのすごさを改めて感じています」
長引く自粛生活中、グレコローマン74㎏級で学生王者だった父・孝人さんからは「レスリングの技術は死なないから心配するな」というアドバイスを受けた。「あとは体力面。息上げだったり、体幹トレをしっかりやっておけば大丈夫」
1年後、世界の57㎏級の勢力図はどうなっていると考えているのか。「リオでは53㎏級で金メダルを取ったヘレン・マルーリス(米国)が、東京は57㎏級で狙ってくる。私はヘレンと闘ったことがないので、やってみないと分からない。世界選手権で闘った選手たちも絶対強くなっていると思う。1年間という期間は、みんなに平等に与えられた時間。有効に使っていけたらと思っています」
いま思い切り練習してもいいと言われたらどんな練習をしたい? 「至学館の後輩たちともそうだけど、全日本チームで集まって一緒に練習したい。全く会っていないコーチ陣にも見てもらいたい」
最近、川井はインスタグラムにスナッチやブルガリアンスクワットのトレーニング動画をアップした。「(登坂)絵莉さんとLINEでそれとない話をしていて、その中で自分の将来のためにも、レスリングがメジャーになるためにも、自分から何か発信した方がいいと思うようになった。これからちょいちょいやろうかなと思っています」
川井は7月からの再開が予定されている全日本合宿を心待ちにしている。
全日本学生連盟は6月16日、8月25日(火)~28日(金)に岐阜・中津川市東美濃ふれあいセンターで行われる予定だった文部科学大臣杯UNIVASCUP全日本学生選手権の中止を発表した。13日(土)に執行部がZoomオンライン会議を行い、その後、メールでの理事会にて承認された。
ただし、延期や代替大会を望む意見が多数あり、具体案(条件に見合う施設確保、調整可能な時期)が提案されれば、感染拡大状況を伺いながら、前向きに検討を続けるという。
この決定により、8月までの日本協会と傘下連盟主催の大会は、すべて中止か延期となった。9月は元々大会がなく、再開は早くても10月になる。
文部科学大臣杯UNIVASCUP
令和2年度全日本学生レスリング選手権大会の開催中止について
全日本学生レスリング連盟
日時:令和2年6月13日13:00~13:40 執行部によるZoomオンライン会議
【中止理由】
〇活動状況調査の結果、活動を再開している大学は厳しい制約下での段階的活動であり、通常には戻れていないため。
〇6月中に活動再開が見込めない大学や、大学が大会参加(条件付きや未定含む)を認めない大学が多数確認されたため。
〇7月以降に活動再開できたとしても2か月後に迫った大会への参加は調整不足などで事故につながる可能性が高いため。
〇接触競技という特性から、現時点では日本スポーツ協会の感染拡大予防ガイドラインに沿った感染防止策を講じることは非常に難しいため。
〇特定警戒都道府県の大学が多く、開催地である中津川市へ多数の関係者が移動することは市民の理解を得にくいため。
但し、前期の大会が軒並み中止となり、延期や代替大会を望む意見が多数あったため、具体案(条件に見合う施設確保、調整可能な時期)が提案されれば、感染拡大状況を伺いながら、前向きに検討を続けることとした。
以 上