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2021年世界選手権は10月2~10日開催で準備へ…ノルウェー協会

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 ノルウェー・レスリング協会は、ホームページで来年10月2日(土)~10日(日)にオスロで予定されているシニア世界選手権のボランティア・スタッフの募集を開始。同期間に世界選手権が実施される可能性が高くなった。

 東京オリンピックの1年延期により、来年はオリンピック・イヤーとなり、これまでの慣例からすれば世界選手権は開催されないか、非オリンピック階級のみの開催だった(注=2008・12年は女子のみ全階級の世界選手権が開催された)。

 今年の世界選手権開催(12月にセルビアで予定)が流動的で、次の世界選手権が2022年になると、オリンピック出場の望みが断たれた選手は2年間に渡って“世界一決定戦”の場がなくなるため、2021年世界選手権開催の必要性がUWW内部で起こっていた。

 イランは、当初予定の10月初旬開催では、東京オリンピックの2ヶ月後となって間隔が短すぎるとし、12月開催を提案していた。ノルウェーのオベ・グンダーソン記者は、本ホームページの問い合わせに対し、「10月の第1週は学校が休みの期間。10月2~10日に開催予定」と回答してきた。

 世界レスリング連盟(UWW)のカレンダーでは、当初予定の10月2~10日のままとなっている。


11.28~12.6アジア・ビーチ大会(中国・三亜)は延期…OCAが発表

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2014年プーケット大会に出場した日本チーム。前列左が優勝した青野ひかる=チーム提供

 アジア・オリンピック評議会(OCA)は7月11日、新型コロナウィルス拡大のため、今年11月28日~12月6日に中国・三亜で行われる予定だった第6回アジア・ビーチ大会の延期を発表した。

 OCA、中国オリンピック委員会、大会組織委員会で話し合い、新しい日程を決めるという。レスリングは11月29日(日)~12月1日(火)に行われる予定だった。

 アジア・ビーチ大会は、OCAが主催するビーチスポーツの総合大会。アジア大会の規模が大きくなったため、ビーチを分離して2008年にインドネシア・バリでスタートした。当初は2年に1回だったが、2016年大会のあとは4年に1回の開催へ。

 レスリングは2008年に行われたあと、2大会実施されなかったが、2014年プーケット(タイ)大会、2016年ダナン(ベトナム)大会で実施され、日本は3大会とも出場。2014年大会で青野ひかる(日大)が優勝し、全大会でメダルを取っている。

 今年の大会も出場予定だった。

A・タイマゾフ(ウズベキスタン)の金メダル剥奪が正式決定、銅メダルの2選手が金メダルへ…2012年ロンドン・オリンピック

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闘いから8年近くが経ち、金メダルを獲得したコメイル・ガセミ(左)とバイリャル・マコフ=撮影・矢吹建夫

 国際オリンピック委員会(IOC)は7月13日までに、ホームページの「結果」で、2012年ロンドン・オリンピックの男子フリースタイル120kg級で1位だったアルトゥール・タイマゾフ(ウズベキスタン)と2位のダビッド・モズマナシビリ(ジョージア)の成績をドーピング違反によってはく奪し、3位だったバイリャル・マコフ(ロシア)とコメイル・ガセミ(イラン)の2選手を金メダルに繰り上げる結果を掲載した。

 銅メダルには5位だったダウレット・シャバンベイ(カザフスタン)とテルベル・ドラグネフ(米国)が繰り上がり、以下、2位ずつ順位が繰り上がった。日本はこの階級には出場していない。

 オリンピックのレスリング史上、決勝で両選手が疲労のため闘えなくなり、2選手が銀メダルとなったことはあるが(1912年=当時は時間無制限)、2選手が金メダルとなったのは初めてのこと。

 イラン協会によると、UWWには上位2選手が失格になった場合の順位決定方法の規定はなかったが、今年3月にルールを修正し、そうしたケースでは3位の2選手が金メダルを獲得するルールができたという。(下記ルールのP17)

https://unitedworldwrestling.org/sites/default/files/2020-03/wrestling_rules.pdf

 IOCと世界アンチドーピング機構(WADA)は、2008年北京大会と2012年ロンドン大会で保存していた検体を最新技術によって再検査し、多くの競技で違反選手を摘発していた。2018年1月にモズマナシビリが、7月にタイマゾフが、それぞれ禁止薬物に陽性反応を示し、メダルの剥奪が発表された。

IOCが発表した2012年ロンドン・オリンピックの男子フリースタイル120kg級の新順位

 国際スポーツ仲裁機構(CAS)へ訴えた場合、正式な結論はCASの結果が出たあとが慣例だった。結果が出たようで、イラン協会は今月初め、世界レスリング連盟(UWW)に対してガセミの金メダルを認めるよう書面でリクエストしていた。

 現段階で世界レスリング連盟(UWW)からの発表はないが、IOCが発表した以上、近日中に発表するものと思われる。ロシア協会はホームページでマコフの金メダルへの繰り上がりを報じている。

 タイマゾフは、ロンドン大会で3個目の金メダルを獲得し、男子で3人目のオリンピック3連覇達成選手だった。2017年4月に2008年北京大会のドーピング違反が発覚し、同年12月にCASもこれを認定。金メダルを剥奪された。今回の剥奪により、オリンピック3連覇のはずだったが、2個の金メダルが無効となった。

【特集】「自粛の3ヶ月間を無駄にはしない!」…男子グレコローマン60kg級・文田健一郎(ミキハウス)

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(文=布施鋼治)

 「みんなで集まるのは刺激になる。少しずつ練習できる環境が戻ってきたのかな、と思います」
 
 7月6日、東京・味の素トレーニングセンターで男子グレコローマンの全日本チームの合宿が再開した。練習終了後、同60㎏級の東京オリンピック代表に内定している文田健一郎(ミキハウス)は、冒頭のように合宿初日を振り返った。

久しぶりの全日本合宿で汗を流す文田健一郎=撮影・保高幸子

 「ただ、7月から合宿ができると分かってから、新型コロナウイルスの感染者数は増えた。楽しさがある一方で、怖さも残っていますね」

 3月24日、東京オリンピックの1年程度の延期が決定すると、文田の気持ちは不安定になった。無理もない。この夏に予定されていた同大会に向けて、ずっと調整し続けていたのだから。

 日体大に残っていたレスリング部OBや、大学の同期で故郷の山口県に戻った仲のいい山本貴裕(72kg級)に相談もした。文田は「オリンピックが延期というニュースを聞いた時には、コロナによって、これだけ苦しい状況になると思っていなかった」と思い返す。

 「心の中では、『延期するまでのことなのか?』と、ずっと思っていました。延期されることで運命が変わる選手もいますからね」

「この状況では、とても(今夏の)オリンピックは開催できない」

 しかし、4月7日に非常事態宣言が発令された前後から、とらえ方は“スポーツより命”という方向に変わっていく。「コロナのせいで、たくさんの方々が人生を狂わされていることを知りました。この状況では、とてもオリンピックを開催できないとも感じました。それからは世界を取り巻く状況を理解して、納得したうえで(コロナ禍の)練習に取り組むことができるようになりました」

感染対策には万全を期して練習に臨む=同

 いずれにせよ、こんなに長い間、マットから遠ざかったことは初めての経験だった。それでも、文田は発想の転換をはかる。「限られた環境や状況の中で、どうやって強化していくか。そういうことを考える時間を設けることができましたからね」

 非常事態宣言下では自宅トレーニングが中心だった。部屋のテーブルやソファをとっぱらい、そのスペースにマットを敷き、汗を流した。「以前と比べ、体幹トレの幅が広がった気がします。過去に教えてもらったことはあるけど、ふだんの練習で手いっぱいという部分もあった。今回は、自分の中で余裕を持って体幹トレを取り入れることができたと思います」

 6月29日から日体大の練習もマスクなしで再開されたが、「3密」を避けるため、60人ほどのメンバーは3分割され、1日の練習時間は1時間半に限定されているという。「正直、物足りない練習量なのでは?」と突っ込むと、文田はうなずいた。

 「久しぶりの練習なので、みんな心肺機能が落ちている。なので、それに合わせてという感じですね」

ブランクはあっても、レスリングの勘は落ちていなかった

 文田とて、その例外ではない。「僕も心肺機能は落ちていたので、最初はすごく苦しかった。でも(対戦相手と勝負するうえでの)勘の部分は落ちていなかったので、自分でもびっくりするほど、すんなりとレスリングに戻ることができましたね」

圧勝優勝した2月のアジア選手権(インド)。この勢いを来夏に持ち越せるか

 今回の全日本合宿では、日体大ではできないことをやると決めている。「日体大でスパーリングはできるけど、陸上競技場を使ってのランニングやウエート場でのウエートトレーニングをすることはできない(7月上旬現在)。味の素トレセンではランニングもウエートもできるので、日体大ではできない練習を重点的にやろうと思っています。この3ヶ月間でやってきたことが無駄ではなかったことを証明したい」

 来年のオリンピックまでの大会出場予定は白紙ながら、文田は「試合に出ずにオリンピックを迎えるということはしたくない」と言う。「真っ白な状態の1年間が加わったので、今後の状況を見ながら、出る大会を決めていけたらいいと思っています」

 どの選手も、与えられた時間は平等。文田は、ピンチをチャンスに変えようとしている。

2022年ユース・オリンピック(セネガル)は2026年に延期へ

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アフリカ初のオリンピックだった2022年ユース・オリンピック。4年延期される=IOCホームページより

 国際オリンピック委員会(IOC)は7月15日、ホームページでセネガルから2022年に首都ダカールで予定されているユース・オリンピックを2026年に延期したいという提案があり、同意したことを報じた。

 新型コロナウィルスのパンデミック(世界的大流行)と、そのために引き起こされた東京オリンピックの延期、それに付随する国際大会の延期などの影響という。17日のIOC理事会に提出され、承認される。

 2026年ユース・オリンピックのレスリングは、男子グレコローマンが実施されない代わりに、男子フリースタイルと女子各5階級(1階級10選手)、ビーチ男女各4階級(1階級10選手)が実施され、初めて男女同数の合計180選手が参加する大会だった。

10.27~11.1世界大学選手権(ロシア)は中止

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 国際大学スポーツ連盟(FISU)は7月14日、ホームページで今年10月中旬以降に予定されていた4種目の世界大学選手権の中止を発表。10月27日(火)~11月1日(日)にロシア・ニジニノブゴロドで予定されていたレスリングの大会も中止となった。

 当初は10月15日までの大会を中止とし、レスリングは中止の対象外だったが、新型コロナウィルスのパンデミック(世界的大流行)の前に、今年の全大会の中止を決めた。2021年には国際大会が数多く予定されているため、「中止」であって、2021年に延期することはないという。

レスリングは8月1日(日)~7日(土)に幕張メッセ…2021年東京オリンピック日程

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東京オリンピックの開幕を待つ国立競技場

 国際オリンピック委員会(IOC)と東京オリンピック組織員会は7月17日、来年に延期された東京オリンピックの日程を発表。すべての競技で今夏実施予定だった日程を1日ずつずらし、同じ会場で行われる。

 レスリングは8月1日(日)~7日(土)に千葉・幕張メッセで行われ、1階級を2日間かけて実施。決勝が行われるのは2日(月)~7日(日)。各日とも男子2階級、女子1階級が行われる。

 試合開始は、第1セッションが午前11時から、準決勝やファイナルが行われる第2セッションは午後6時15分から。全試合終了は午後10時になる見込み。

 開会式は7月23日(金)で、閉会式は8月8日(日)。史上最多33競技339種目が行われる。

 レスリングの日程は下記の通り。


大会スケジュール

8月1日(日) 男子グレコローマン60・130kg級、女子76kg級/1回戦~準決勝
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8月2日(月) 前日スタート階級/敗者復活戦・ファイナル
       男子グレコローマン77・97kg級、女子68kg級/1回戦~準決勝
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8月3日(火) 前日スタート階級/敗者復活戦・ファイナル
       男子グレコローマン67・87kg級、女子62kg級/1回戦~準決勝
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8月4日(水) 前日スタート階級/敗者復活戦・ファイナル
       男子フリースタイル57・86kg級、女子57kg級/1回戦~準決勝
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8月5日(木) 前日スタート階級/敗者復活戦・ファイナル
       男子フリースタイル74・125kg級、女子53kg級/1回戦~準決勝
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8月6日(金) 前日スタート階級/敗者復活戦・ファイナル
       男子フリースタイル65・97kg級、女子50kg級/1回戦~準決勝
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8月7日(土) 前日スタート階級/敗者復活戦・ファイナル

※最終日は夕刻のセッション(午後6時45分~)のみ

【担当記者が見たレスリング(11)】弱さを露わにした吉田沙保里、素直な感情と言葉の宝庫だったレスリング界…首藤昌史(スポーツニッポン)

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(文=スポーツニッポン記者・首藤昌史)

 「ノー密」の時代にこんなことを書くと怒られそうだが、私にとってレスリングの最大の魅力は「濃密さ」といえる。マット上の接近戦、ではない。指導者や選手と取材側の距離感と言い換えてもいい。そして、その距離感の重要性を最も感じさせてくれるのが、選手の言葉だと思っている。

吉田沙保里の再起戦の会場となった韓国・済州島の体育館=撮影・矢吹建夫

 話は2008年にさかのぼる。北京オリンピック・イヤーの3月、韓国・済州島で行われたアジア選手権(注=当時はアジア選手権がオリンピック・アジア予選だった)。最大の焦点は、女子72kg級の浜口京子がオリンピック切符を獲得できるかどうかだった。

 もう1つ、個人的に気になっていたのは女子55kg級の吉田沙保里だ。この年の1月19日、団体戦とはいえ海外選手に初黒星を喫した吉田は、大会の舞台だった中国で、そして帰国した日本で、まるで子どものように泣きじゃくっていた。

 すでにオリンピック切符を確保していた吉田には、アジア選手権出場の義務はなかった。合宿での取材中も、出場するか否か、揺れ動く心理が透けて見えていた。結局は父・栄勝さんらのアドバイスで出場するのだが、もしこの大会で何かが起これば、オリンピック連覇はなくなるだろう、と考えていた。

ためらうことなく弱さを露わにした吉田沙保里

 当日の3月20日。想像していた通り、初戦から動きは硬かった。以前なら外連味(けれんみ)なく入っていたはずのタックルに躊躇している感じも伝わってきた。当然だろう。1月の敗戦は、自慢のタックルを抱え込まれ、返されて喫した失点によるもの。

試合前日の計量。表情は硬かった=同

 済州島の古びた体育館で、私の頭の中に「イップス」(精神的な原因などにより、これまでできていた思い通りの動作ができなくなる障害=元はゴルフ用語)という言葉が浮かんだほどだった。

 もちろん、その後は徐々に調子を上げ、吹っ切れたかのようにタックルも決めて優勝するのだが、何より聞きたかったのは、慣れ親しんだ栄光の味より、敗戦以来初のマットの感想だった。薄暗いミックスゾーンで、吉田はうっすら笑いを浮かべていた。

 「午前中は胃が痛くて、もどしそうだった」。現役世界女王が定位置に立ったのだから、強がってもよかった。恐怖は感じなかった、とでもコメントしたら、怪物神話はもっと早くに生まれていたかもしれない。だが、人間としての弱さを露わにすることに、ためらいはなかった。

 うんうん。そりゃそうだよね。霊長類最強と呼ばれるのは、もう少し先。当時25歳の素直な言葉に、魅力を感じたことを鮮明に覚えている。

ありのままの言葉ほど、スポーツの価値をアピールするものはない

 東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まって以降、「スポーツの力」なんて陳腐な言葉が一人歩きする。各競技団体は、アスリートたちにメディアトレーニングなるものを施し、「コンプライアンス」なんぞに配慮している。

“指定席”に戻り、さわやかな表情に戻った吉田=同

 だが、アスリートのありのままの言葉ほど、濃密にスポーツの価値をアピールするものはないと思う。言葉とは、生きてきた道そのもの。ごまかしはきかないし、まやかしはいらない。

 2000年シドニー・オリンピック以降、断続的に取材してきたレスリングは、選手の素直な感情と言葉の宝庫だった。指導者も含めて、とりつくろったうわべだけの言葉を聞いたためしがない(便宜上のウソは何度もつかれたけど)。

 それは、まるでシングレット一丁で相手と向き合う競技そのものだ。時代は変わっても、その魅力は継承してほしいと切に願っている。

首藤昌史(しゅとう・まさし)1968年、大分県生まれ。別府鶴見丘高―早大。1995年、スポーツニッポン新聞社に入社。1996年アトランタ大会以降、オリンピック担当として夏3大会、冬2大会を現地取材。現在はオリンピック担当デスク。家族は妻(1人)と1女3男。最近の不満は給付金が家長に分配されなかったことと、居酒屋の閉店が早いこと。

担当記者が見たレスリング

■7月11日:敗者の気持ちを知り、一回り大きくなった吉田沙保里…高橋広史(中日新聞)
■7月4日: “人と向き合う”からこそ感じられた取材空間、選手との距離を縮めた…菅家大輔(日刊スポーツ・元記者)
■6月27日: パリは燃えているか? 歓喜のアニマル浜口さんが夜空に絶叫した夜…高木圭介(元東京スポーツ)
■6月20日: 父と娘の感動の肩車! 朝刊スポーツ4紙の一面を飾った名シーンの裏側…高木圭介(元東京スポーツ)
■6月13日: レスリングは「奇抜さ」の宝庫、他競技では見られない発想を…渡辺学(東京スポーツ)
■6月5日: レスラーの強さは「フィジカル」と「負けず嫌い」、もっと冒険していい…森本任(共同通信)
■5月30日: 減量より筋力アップ! 格闘技の本質は“強さの追求”だ…波多江航(読売新聞)
■5月23日: 男子復活に必要なものは、1988年ソウル大会の“あの熱さ”…久浦真一(スポーツ報知)
■5月16日: 語学を勉強し、人脈をつくり、国際感覚のある人材の育成を期待…柴田真宏(元朝日新聞)
■5月9日: もっと増やせないか、「フォール勝ち」…粟野仁雄(ジャーナリスト)
■5月2日: 閉会式で見たい、困難を乗り越えた選手の満面の笑みを!…矢内由美子(フリーライター)


【特集】世界のメジャースポーツ「UFC」と契約! MMAで金メダルを目指す吉田沙保里のライバル、村田夏南子(JWA~日大卒)

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(文=布施鋼治)

2013年全日本選手権55kg級決勝、吉田沙保里にラスト13秒まで5-4とリードする善戦を展開した村田夏南子=撮影・矢吹建夫

 「村田夏南子」といえば、JOCエリートアカデミー~日大で活躍し、2012年全日本選手権・女子55㎏級で優勝するなど、吉田沙保里のライバルとして注目された選手。

 2016年リオデジャネイロ・オリンピック出場の夢が断たれた時、村田には4年後の東京オリンピックを目指すという選択肢は持ち合わせていなかった。「東京を待っていたら、その時には27歳になっている。自分は器用ではないし、その年からMMA(総合格闘技)を始めることになったら、ちょっと無理。新しいことを始めるなら、このタイミングしかないと思い、MMAに転向しました」

 日大卒業と同時にMMAへ転向。総合格闘技イベント「RIZIN」の2016年4月大会で白星デビューを果たす。その後、着実に成功し、昨年からは米国の女子MMAプロモーション「INVICTA FC」へ。昨年11月、第7代ストロー級王座を奪取した。この団体で日本人がチャンピオンに就くのは2人目という快挙だった。

 この戴冠がきっかけとなり、今月5日、村田はMMAでは世界最大のプロモーション「UFC」と契約したことを発表した。3月に契約を済ませていたというが、4ヶ月もブランクが空いたのは世界で感染拡大を続ける新型コロナウィルスと無関係ではない。「発表する機会を逸してしまいました。いざ発表すると、実感が湧いてきましたね」。

朝10時から休憩をはさんで夜まで練習

 1993年に米国でスタートした「UFC」は、当時は素手で闘い、倒れた相手を殴ってもいいなど限りなく喧嘩に近いルールを採用し、全米各地で反対運動が起こるいわくつきの団体だった。その後、ルールを整備。現在では完全にスポーツとして確立し、世界最大の通信社のAP通信もその結果を報道し、156カ国以上でテレビ放送されているメジャーなプロスポーツとなっている。

「UFC」で闘うことが決まり、世界の晴舞台へ飛躍する村田

 村田は、昨年までも米国を拠点に活動を続けていたが、昨年12月に一時帰国して以来、ずっと日本に滞在している。コロナウィルスのせいで、米国に戻りたくても戻れなくなってしまった。

 都内の公園でひとり黙々と自主トレに励んだ。苦しくはなかった。「レスラーは(直近に)試合がなくても、ずっと練習を続ける」という習慣が骨の髄まで染み渡っていたからだ。「そういうところはレスラーのままですね。公園で懸垂したり、タックルの練習をしたりしていました」

 日本でのジムワークの再開は6月になってから。練習の拠点としている東京・代々木の「リバーサルジム新宿Me, We」(山﨑剛代表)で1日の大半を過ごす。今回の取材は某日午後5時からジムで行ったが、村田は「今日は朝10時からいる」と打ち明けた。「ずっと練習して、昼食をとって。また練習という感じですね。取材が終わったら、また練習します」

プロでは12戦11勝! 唯一の黒星でMMAに開眼

 MMAでの戦績は12戦11勝(2KO・4つの一本勝ち)1敗。唯一の敗北は2016年12月29日の「RIZIN」で行われた中井りん戦だが、当時はまだキャリアが浅く、体重ハンディもある一戦だった(現在は-52.2kgをリミットとするストロー級で闘うが、この一戦は57.15kg契約)。

RIZINのリングで闘う村田=2018年5月、撮影・保高幸子

 この一戦をきっかけに、村田は「レスリングだけではどうにもならない」と悟った。「それまでは、ずっと組み付いて試合をしていましたからね。打撃も寝技もできなければダメと思うようになりました」

 この敗北のあと、村田は7連勝中。飛躍のきっかけは、日頃の努力に加え、米国コンバット・スポーツ・アカデミーのコーチであるキリアン・フィッツギブンスからMMAの指導を受けるようになったことだろう。キリアン・コーチは史上初めてオリンピックとUFCの頂きを極めたヘンリー・セフード(2008年北京大会金メダリスト)のコーチとして知られる名伯楽。このコーチからレスリングを活かしたムエタイ(タイ式ボクシング)を学んでいる。

 「アメリカにセフードを教えたコーチがいると聞いて、足を運びました。それまでパンチはやったことがあったけど、蹴りを出したことは全くといっていいほどなかった」

北京オリンピック王者を指導したコーチにキックを教わる 

 キリアン・コーチの教えはシンプルで、「とりあえず蹴ってみろ」というものだった。「最初の頃はどうやって蹴るかも分からなかった」と言う村田は、時間をかけて蹴り方を習得しつつある。「コーチは蹴り方というより、蹴るタイミングだったり、蹴るポイントだったりを教えてくれる。日本では(旧K-1ファイターの)大野崇さんに蹴り方を習っています」

63kg級でリオデジャネイロを目指した村田(2015年全日本選抜選手権)。3ヶ月後、川井梨紗子が世界2位になったことでオリンピックへの道が絶たれ、MMAが目標となった=撮影・矢吹建夫

 コロナ禍においてもUFCは無観客で大会を行っている。2020年7月中旬現在、村田のデビュー戦は未定ながら、「試合は9月以降で」と頼んでいるという。現在UFC世界女子アトム級王者にはジャン・ウェイリー(中国)が君臨している。過去に「RIZIN」で村田との対決が組まれながら、ウェイリーのけがにより試合が流れてしまったという因縁深き対戦相手だ。

 もしウェイリーに挑戦したら? 「やっぱりレスリングを見せたいけど、打撃や寝技など全局面で闘わないと勝てない」

 もうすぐ27歳。いつの間にか一回りも二回りもたくましくなった村田は、MMA最高峰の舞台でどんな闘いを魅せてくれるだろうか。

7.19石川県高校大会(総体代替大会)/成績

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(2020年7月19日、石川・志賀町総合武道館)


成績一覧表 トーナメント表

個人戦(男子)

▼51kg級[1]大垣内蓮斗(志賀1)、[2]岡本有馬(金沢北陵3)

▼55kg級[1]我満大記(志賀3)、[2]出戸亜堂(金沢北陵3)、[3]石田紫苑(野々市明倫2)

▼60kg級[1]白崎誠也(志賀2)、[2]宮崎楓大(志賀1)、[3]木野敬士(星稜2)

▼65kg級[1]谷内謙斗(志賀3)、[2]畠野尊(志賀2)、[3]山本泰市(星稜2)

▼71kg級[1]吉岡竜輝(野々市明倫3)、[2]千原啓暉(金沢西2)、[3]下川璃駆(星稜3)

▼80kg級[1]小林大輝(志賀3)、[2]木村友也(志賀1)、[3]南颯一郎(金沢北陵3)

▼92kg級[1]能瀬龍樹(志賀1)、[2]加藤雅基(金沢北陵2)

▼125kg級[1]山本無量(星稜2)


個人戦(女子)

▼53kg級[1]岡田愛生(志賀2)

▼57kg級[1]水澗琉奈(志賀2)

各階級優勝選手(前列左から後列右へ、階級順)=石川県高体連専門部提供

8月末までの全日本合宿を中止

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 今月22日(水)~28日(火)に東京・味の素トレーニングセンターで予定されていた男子フリースタイルの全日本合宿が、全国的な新型コロナウイルス感染者数増加という状況を鑑み、中止されることになった。

 選手の安全、安心を最優先するため、強化委員会、医科学委員会とも検討し、決定した。8月にも各スタイル1回ずつの合宿が予定されていたが、これも中止し、9月から再開できるよう再調整する。

 今月2日から女子、6日から男子グレコローマンが、参加選手の抗体検査を実施するなどしたうえで合宿を再開したばかりだった。検査は全員が陰性だった。

【特集】幻となった地元インターハイ、「これから」を見据えて必死の努力を続ける…群馬・館林高校(上)

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地元での“高校最後の夏”を迎えられなかった無念の3年生選手だが、すでに次の目標へ切り替えている。左から髙橋一輝・主将、日比野晴、小川雄也、坂上拓瑠・副主将

 本来なら、数多くの外国人の姿が見られたであろう2020年7月。8月2日からはオリンピックのレスリング競技がスタートし、高校レスリング界はテレビでその激闘を観戦しつつ、8月21~24日のインターハイへ向けて追い込み練習に汗を流しているはずだった。

 インターハイの開催地、群馬・館林市も、51年ぶりのインターハイに燃えていたことだろう。4月下旬、インターハイの中止が決定。6月には鹿児島国体の延期も決まった。3度のインターハイ団体優勝の実績を持つ地元の名門、館林高校は、8人いた3年生のうち、3人は“最後の試合”がないまま選手生活にピリオドを打つことにした。

 針谷豊監督は「2月あたりから騒がれ、3月に休校。予想はしていたが、インターハイがなくなることが正式に決まった時は力が抜けた。心のどこかで、『やってくれるのでは?』、という気持ちがあった。残念、という言葉では言い尽くせない脱力感があった」と無念の思いを話す。

 自身も選手たちも、全国高校選抜大会が流れた時は「インターハイはできるだろう」という気持ちがあり、インターハイが流れた時は「国体はやれる」という気持ちだった。「まさか全部なくなるとは」-。

8人の3年生のうち、5人が卒業後もレスリング活動を希望

 一方で、選手を励ます立場でもある。緊急事態宣言下では選手と会うことができず、ラインなどでの会話となったが、「引退する選手には『新たな目標を持って、そこに向かってほしい』と、卒業後も続ける選手には『やってきたことと悔しさを大学へ行ってぶつけてほしい』と伝えました」。

コーチはオリンピック2連覇(1964・68年)の小幡洋次郎氏。ほぼ毎日参加し、選手を指導している

 5人は大学へ進んでレスリングを続けることを希望した。幸い、群馬県では8月22~23日に代替大会を開催することとなり、10月には新潟市で全国の代替大会の予定もある。当初は、県外への遠征が認められるかどうか分からなかったが、7月16日に「OK」が出たという。これらを当面の目標に見据え、懸命に汗を流している。

 ■髙橋一輝・主将「地元インターハイがなくなって残念でした。でも、くよくよしていても仕方ないので、気持ちを切り替えました。大学でもレスリングをやるつもりなので、そこで、高校の分も頑張ろうと思いました」

 ■坂上拓瑠・副主将「ずっと前から地元のインターハイで優勝しようと思ってやってきたので、とても残念でした。みんな同じ状況なので、気持ちを切り替えました。大学でも続けるつもり。他県の選手に負けないよう、頑張ろうと思います」

 ■日比野晴斗「地元でのインターハイは、入学した時からの目標で、ずっと頑張ってきた。中止になって非常に残念でした。8月に代替大会があるので、そこでしっかり勝って、いい気持ちで高校の最後を終えたい」

 ■小川雄也「(予選を勝ち抜いて)インターハイに出るつもりで毎日頑張ってきたので、率直に残念でした。代替大会があるということで、その大会を目指して頑張りたいです」

※選手生活継続の中で、成塚騎士選手は通院のため取材日の練習を欠席

《続く》


▲針谷豊監督も率先してマットの消毒。感染対策には万全を期しての練習再開だ

▲練習場は広く、四方に窓がいくつもあって風通しはいい造り

▲壁には51年前のインターハイ学校対抗戦優勝の時の賞状が飾ってある

 

【特集】幻となった地元インターハイ、「これから」を見据えて必死の努力を続ける…群馬・館林高校(下)

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《上から続く》

地元インターハイでの快挙はなくなったが、これからも全国優勝を目指して邁進する館林高チーム。左端がオリンピック連覇の小幡洋次郎コーチ

 群馬・館林高校を指導するのは、1990年の高校二冠王者(全国高校選抜大会・インターハイ)で、監督としては2014年全国高校選抜大会でチームを準優勝(決勝は茨城・霞ヶ浦に3勝1敗から逆転負け=関連記事)に導いた針谷監督と、1964年東京・1968年メキシコ両オリンピックを制した小幡洋次郎コーチのコンビ。地元インターハイが決まってから、それを目指して指導を続けてきた。

 館林高校は、来年100周年を迎える。レスリング部は戦後間もない1949年に総部。1954・61・69年のインターハイ・学校対抗戦で優勝し、オリンピック王者の小幡洋次郎コーチ(前述)、同級生で世界チャンピオンに輝いた森田武雄さん(現市会議員)を輩出。

 最近では、2010年アジア大会2位の長島和幸(現福岡大副部長)や2012年ロンドン・オリンピック銀メダルの松本隆太郎(現日体大コーチ)、弟で2018年世界3位の篤史(現警視庁)らがいる。昨年も玉岡颯斗(現早大)が全国高校生グレコローマン選手権を制している。県立の普通科高校としては突出した伝統を持っている高校だ。

 推薦特待入試はないので、県外の強豪選手を引っ張ってくることはなく、全員が地元の選手。学校の方針として朝練習はできないなど(課外授業を実施しているため)、県立高校ならではの苦労ある。ただ、群馬県はキッズ教室が9クラブあり、そこで経験している選手が入部してくるので、部員の3分の2は中学までの経験者。

オリンピックV2の小幡洋次郎コーチの熱烈指導

 朝練習は、自主的にやる分には問題ないので、ランニングやウェートトレーニングをやっている選手はいる。「どんな練習が必要なのかを分かっている選手が多い。自主的に練習を組み立てることができる力がある選手ばかり」(針谷監督)と、全員が初心者というチームに比べれば、強くなる要素は多い。

練習の最後のトレーニングは、まさに“自主トレ”。各自が補強箇所の強化に励む

 何よりも、オリンピック王者からの的確な指導が大きい。OB会長を務めている小幡コーチは、たまに来て精神論や昔話を話して帰る“指導”ではない。栃木・足利市から約15kmの距離を毎日通って技術指導を実施。朝の自主練習にも顔を出している。

 スパーリングで選手が見合っていると、「スパーリングはゲーム(試合)じゃない。積極的にポイントを取りに行き、取られないようにする。その激しさで息が上がり、体力がついていく」と、攻める重要性を説く。

 各選手の特徴をしっかり把握しており、選手を呼び寄せて「レスリングはしっかりできている。パワーアップが必要だ」など、その選手に合わせた指導を展開。けがなどで姿が見えない選手がいると、「○○はどうした?」と聞くなど、一人ひとりが“自分の教え子”だ。

 コンタクトスポーツであるがゆえに、代替大会を実施しない県もあるので、群馬県は恵まれている。地元での伝統の復活はなくなったが、選手たちの気持ちは落ち込んだままではない。大学でのレスリング活動や、これからの人生を見据え、必死の努力が続いている。

▲インターハイと国体はなくなったが、10月の代替大会までチームをけん引する髙橋一輝・主将

▲2014年にチームを全国2位に躍進させた針谷豊監督

▲2014年全国高校選抜大会の表彰式。再び全国の表彰台に上る日は、いつか?

外国人留学選手の登録・出場制限等を明文化へ…東日本学生連盟

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 東日本学生連盟は7月12日、メールによる理事会を開催し、外国人留学生選手の登録および大会出場について、ルール化することを決めた。

 現在、日本の学生スポーツは様々な競技で外国人留学生選手の活躍が顕著となっている。他競技においては、日本人選手の活躍する機会を守るため、特に団体戦における外国人留学生選手の起用制限を明文化されている。

 東日本学生連盟では、以前から外国人留学選手が出場していたが、特に問題がなかったため、現在までルールとして明文化していなかった。ガバナンス強化のため、明文化することとした。他競技の規定を参考に、今年度内に正式に規定を決める。

9月29日(火)~10月2日(金)に群馬・前橋市で全日本学生選手権を開催

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 全日本学生連盟は7月22日、今年の全日本学生選手権を9月29日(火)~10月2日(金)に群馬・前橋市のALSOKぐんまアリーナ(https://www.pref.gunma.jp/07/x5010010.html )で行うことを発表した。

 ただし、新型コロナウィルス感染症の拡大、および各大学の状況を考慮し、8月30日を最終判断日として正式決定する。その後も、感染拡大の状況によって群馬県から中止要請が出た場合は中止にするという。

 日程は、9月29~30日が男子グレコローマン、30日が女子、10月1~2日が男子フリースタイル。新人選手権など出場資格にかかわる大会が中止となったため、その事情を考慮して大会要項が作成される。最大収容席数は約9,000席の体育館だが、感染防止対策のため1日1,000人以下にするなど、感染予防対策を実施する。

 今年の全日本学生選手権は、8月25~28日に岐阜・中津川市で予定されていたが、新型コロナウィルス感染症の拡大のため、6月16日に中止を決定。一方、延期や代替大会を望む意見が多数あり、施設の確保や可能な時期が提案されれば、延期開催を検討することとしていた。

 7月から段階的に活動再開する大学が増え、開催を望む声が多く、会場も確保できたため、延期開催に踏み切った。


【担当記者が見たレスリング(12)】IOCに「認められる」のではなく、「認めさせる」の姿勢と誇りを…森田景史(産経新聞)

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(文=産経新聞記者・森田景史)

2013年2月13日付けの朝刊スポーツ新聞。全紙がレスリングのオリンピックからの除外問題を取り上げた

 いまでも折に触れ、「冗談にも程があるよな」と微苦笑交じりに思い出す。2013年に起こったレスリングの「オリンピック除外」騒ぎである。

 古代オリンピックの中核競技、近代オリンピックでも第1回大会から行われている「顔役」を、国際オリンピック委員会(IOC)は2020年大会から締め出そうとした。世界的な普及度や視聴率の低迷、女性進出の遅れなど理由はさまざまに語られたが、つまるところ、IOCの権威主義と無定見による勇み足でしかない。

 世界中のレスラーが反旗を翻し、不倶戴天の仲とみられた米国とイランの協会が手を結ぶなど、「除外」の余波は想像を超える抵抗を招いた。日本協会もまた、福田富昭会長が世界各地を東へ西へと走り、国内では約100万筆の「復帰」署名を集めた。

日本協会の緊急会見。レスリングを守るための闘いがスタートした

 2020年大会の開催都市と実施競技を決める2013年9月のIOC総会(アルゼンチン・ブエノスアイレス)を前に、福田会長は筆者にこうぼやいている。「招致は東京、実施競技はレスリングに-、と働きかけているんだが…。いろんな事情が複雑にからんで、情勢は何とも言えない」。当落線上に残ったのは、レスリング、野球・ソフトボール、スカッシュの3つ。

 招致の審判を仰ぐ東京、イスタンブール、マドリードと3つの競技をつなぐ糸は、日本協会にとって思わしくない形でからみ合っていた。東京なら日本で人気の野球・ソフトボール。イスタンブールならトルコの国技であるレスリング。マドリードなら欧州で人気のスカッシュ。関係者の間で噂されたのは、いかにもありそうな筋立てである。

権威振りかざすIOC、競技団体の苦しみ

 結果として2020年大会は東京に、実施競技はレスリングに落ち着いたものの、憔悴しきった福田会長は現地で「これからも頑張る。オリンピック競技であり続けるために」と、目に涙を溜めていた。筆者はIOCの罪深さを呪ったものである。

東京・表参道での署名活動。オリンピックのレスリングを守るため、レスリング界は一致団結した

 オリンピックという箱舟から落ちまいとする各国際競技連盟(IF)のもがきは、皮肉にも、IOCの権威をさらに高みへと押しやってきた。レスリング界は指定席を死守するため、動きの少ないグレコローマンを排し、フリースタイルに一本化する案を泣く泣く議論した過去がある。

 腕力と技量と速さを競うべき長時間の一本勝負を質に入れ、「ピリオド」という細切れの商品として提供した負の歴史もある。オリンピックは競技団体を救う代わりに、競技そのものを殺(あや)めてきた。その現実に、IFはもっと怒りの声を上げていい。

 IOCはいま、いたずらに権威を振り回したことへの報いを受けている。それが「若者のスポーツ離れ」、正確に言えば「オリンピック離れ」だ。スケートボードやサーフィンなどに興じる若者に言わせれば、「オリンピック? 別に…」。泡を食ったIOCは、「若者のスポーツ回帰」を掲げて、ニュースポーツに門戸を開いた。

 その結果、2020年大会は33競技339種目と、かつてないほどに肥え太り、東京は耐え難い重みに脂汗を流している。そこに新型コロナウイルスの追い打ちである。

レスリングを守る方法は、地道な普及に徹すること

 こうしてみると、競技の本質をゆがめてしまうオリンピックとは何なのか、と考えてしまう。レスリングの取材現場を離れて久しい筆者から、はばかりながら申し上げるとすれば、卑屈な「オリンピック礼賛」とは手を切るべきだと思う。

2013年9月8日午前1時(日本時間)、レスリングのオリンピック存続が決まり、歓喜に沸く選手・関係者=東京・味の素トレーニングセンター

 オリンピックのある、なしが死活に関わることは分かっているが、競技の魅力を質草にしてまで箱舟にすがりつくことが、レスリング界の幸せにつながるとは思えない。

 IOCの顔色をうかがうようなルール改定にこだわるあまり、競技に本来宿るはずの躍動感が損なわれていないか。ファンが見たいのは、細切れのピリオドで争うポイントの多寡ではない。十分な試合時間の中で、選手たちが汗を四散させ、腕力と腕力を競い合う、筋肉質で歯ごたえのある格闘技だ。グレコローマンの除外などは、角を矯めて牛を殺すようなもので、一考にも値しない。

 レスリングを本気で守るというのなら、地道な普及に徹することだ。誰が見ても分かりやすく、競技の魅力を存分に引き出すルールに戻すことだ。裾野の広がり、ファンの拡大が、わが身を守る護符になる。そのことに早く気づいてほしい。

 IOCに認められるのではなく、認めさせる。伝統競技としての誇りを、レスリング界はもっと大事にしていい。

森田景史(もりた・けいじ) 1970年、大阪府出身。1993年、産経新聞社に入社。2000年以降は運動部記者として、主にレスリング、柔道、相撲を担当。オリンピックは北京、ロンドンの2大会と、2020年大会招致を取材した。現在は論説委員を兼務。社説とコラム、趣味が高じて時々、将棋の記事を執筆。誰もが喜ぶ甘口の論調が持ち味。

担当記者が見たレスリング

■7月19日:弱さを露わにした吉田沙保里、素直な感情と言葉の宝庫だったレスリング界…首藤昌史(スポーツニッポン)
■7月11日:敗者の気持ちを知り、一回り大きくなった吉田沙保里…高橋広史(中日新聞)
■7月4日: “人と向き合う”からこそ感じられた取材空間、選手との距離を縮めた…菅家大輔(日刊スポーツ・元記者)
■6月27日: パリは燃えているか? 歓喜のアニマル浜口さんが夜空に絶叫した夜…高木圭介(元東京スポーツ)
■6月20日: 父と娘の感動の肩車! 朝刊スポーツ4紙の一面を飾った名シーンの裏側…高木圭介(元東京スポーツ)
■6月13日: レスリングは「奇抜さ」の宝庫、他競技では見られない発想を…渡辺学(東京スポーツ)
■6月5日: レスラーの強さは「フィジカル」と「負けず嫌い」、もっと冒険していい…森本任(共同通信)
■5月30日: 減量より筋力アップ! 格闘技の本質は“強さの追求”だ…波多江航(読売新聞)
■5月23日: 男子復活に必要なものは、1988年ソウル大会の“あの熱さ”…久浦真一(スポーツ報知)
■5月16日: 語学を勉強し、人脈をつくり、国際感覚のある人材の育成を期待…柴田真宏(元朝日新聞)
■5月9日: もっと増やせないか、「フォール勝ち」…粟野仁雄(ジャーナリスト)
■5月2日: 閉会式で見たい、困難を乗り越えた選手の満面の笑みを!…矢内由美子(フリーライター)

 

【訃報】富山幸子さん(富山英明・日本協会副会長の妻)

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 がんとの闘病中だった富山英明・日本協会副会長の妻・幸子さんが7月24日午後11時5分、入院先の病院で死去されました。63歳。

 葬儀・告別式は家族のみで執り行います。

 新型コロナウィルス感染拡大の昨今の状況を鑑みて、一般の方の葬儀・告別式への参列はご遠慮していただきたいとのことです。故人とのお別れ・ご焼香は、30日(木)までの午前10時~午後5時(30日は3時)、下記でできます=予約必要。

■コムウェルホール板橋(174-0054板橋区宮本町34-3、電話0120-72-4141)

 

【特集】激闘から半世紀以上の時を経て、今も指導に情熱を注ぐ小幡洋次郎さん(1964・68年オリンピック優勝)に聞く(上)

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 レスリングで金メダル5個を取った56年前の東京オリンピック。その一人が、米国・オクラホマ州立大に留学していた小幡洋次郎さん(旧姓上武=フリースタイル57kg級)。初の国際大会にして表彰台の中央に昇り、4年後のメキシコ・オリンピックでも勝った。

77歳にして高校生選手を指導する小幡洋次郎さん

 日本男子でオリンピック2連覇は小幡さんただ一人。大学では3年連続で全米学生(NCAA)王者へ。1960年代のNCAAベストレスラーと言われる選手だった。

 1976年モントリオール・オリンピックでコーチを務めたあとは栃木・足利市でホテル業に専念し、日本協会の要職にはつかなかった。2009年に息子に経営を任せ、母校・館林高校のOB会長に就任してチームの強化に力を注いでいる。小幡さんに、現在の生活やレスリング界に思うことを聞いた。

 小幡洋次郎(おばた・ようじろう=旧姓上武)群馬県邑楽郡出身。群馬・館林高時代にインターハイ王者へ。早大に進学したあと、オクラホマ州立大に留学。1964年全米学生選手権を制し、同年の全日本選手権(東京オリンピック代表選考会)を勝ち抜いてフリースタイル57kg級の代表へ。本番では左肩を脱臼しながらも優勝。4年後の1968年メキシコ大会でも優勝し、現在までに日本男子で唯一のオリンピック連覇達成者。
 全米学生選手権は1966年まで連覇して3度優勝。58戦無敗の成績を残した。1972年ミュンヘン大会でコーチ、1976年モントリオール大会で監督を務めたあと、家業に専念。2005年に国際レスリング連盟(FILA=現UWW)の殿堂入りを果たした。

 ――1943年1月生まれですので、77歳ですね。今でもマットに上がっているとは、驚きです。

 小幡 ほとんどマットサイドに座っているだけですよ(笑)。

 ――亡くなられた方もいる1964年東京オリンピックの代表選手で、まだマットに立っているのは、お一人ではないでしょうか。やはりマットの上では、安らぎを感じますか?

 小幡 若い時、10年ちょっとレスリングに没頭してきたので、その習慣が抜けないんですね。レスリングを見ていると心が落ち着くというか、楽しい気持ちになります。

1964年東京オリンピックで金メダルを取った小幡さん(右端)=日本協会80年史より

 ――館林高校には、いつ頃からコーチとして来られるようになったのでしょうか。

 小幡 10年ちょっと前、65歳か66歳の時からです。OB会の会長に指名され、会長として何かしなければならないと思いました。我々の時は、OBがよく練習に来て、練習相手をしてくれたり、激励してくれたりしました。そこで、最低でも土日曜日は練習に参加しようと思っていましたが、指導する以上、責任が出てきます。そのうち、毎日来るようになり、朝練習にも来るようになりました。

 ――責任感のなせる業ですね。

 小幡 教員以外で正式に指導するには資格が必要ですが、県から正式に認めてもらえました。遠征にも帯同してよくなり、この10年間、遠征も含めてチームを見てきました。県立高校ですから、他県から強豪選手を引っ張ってくることはできない。入部した選手を、1勝でも2勝でも多く勝たせ、上へ行かせたい、という思いでやってきました。

工夫して練習して得たことは必ず身につく

 ――コロナウィルス拡大による休校もあり、約3ヶ月、練習できなかったわけですが、その間はどんな思いでしたでしょうか。

 小幡 寂しかったですね。それまでは、朝7時から8時まで朝練習につきあい、夕方3時半頃からのマット練習に参加する生活を毎日続けていました。それがなくなり、自粛生活がいつまで続くか分からなかったので、生活のリズムが狂ってしまいました。それではいけないと思い、ゴルフの練習を始めました。体を動かさないとならないんですね(笑)。同じくらいの年齢の人間と、下手は下手なりに練習をやりました。

2012年1月、ロンドン・オリンピックを目指す選手を激励する小幡さん=東京・味の素トレーニングセンター

 ――その期間、選手もチーム練習ができず、大変な時期だったと思います。米国では、レスリング・シーズンが終わるとチーム練習ができなくなると聞いています。状況は違いますが、個人で練習しなければならない、という状況で考えれば、同じ状況と言えないでしょうか。

 小幡 全米学生選手権が3月中旬に終わると、マットをしまい、約5ヶ月間、レスリング場には入れず、コーチはチームの指導をすることができません。ルールで決まっています。4月からは練習場所がなく、練習相手もいなくなるわけです。そこで、工夫して自主練習をしました。アメリカンフットボールの練習に加えてもらったりもしました。後で考えると、その時期に工夫して練習したことが、とても役に立ちましたね。

 ――練習できないことで、焦りはなかったのでしょうか。

 小幡 (米国の初年度は)日本では、東京オリンピックを目指す選手たちが必死になって練習している時期でした。焦りがなかったと言えば、うそになりますが、その時に工夫した練習は、しっかり実になっていたと思います。言われて、尻をたたかれて練習しても、ある程度は身につくでしょうが、さほど身につかないと思います。自分で考えて工夫してやったことは、100パーセント、身につくことを感じました。

 ――では、自粛を余儀なくされた約3ヶ月間、工夫して必死に練習した選手は伸びる、ということでしょうか。

 小幡 そう思います。自粛期間の前に選手にそのことも話しました。どこまでできたでしょうか。みんなしっかりやってくれたと信じています。

《続く》

【特集】激闘から半世紀以上の時を経て、今も指導に情熱を注ぐ小幡洋次郎さん(1964・68年オリンピック優勝)に聞く(下)

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《上から続く》


 ――館林でのインターハイが流れたことは、とても残念だったのではないでしょうか。

 小幡 今年9月、正式に指導を始めて10年経つ区切りで、コーチもOB会長も辞める予定です。それだけに残念ですが、この状態では、どうしようもないと思います。

地元インターハイで指導にピリオドを打つ予定だった小幡さんだが…

 ――マット生活もピリオドですか?

 小幡 指導を手がけた今の1年生が卒業するまであと2年あります。そこまでは責任を果たしたい。もう指導はしませんが、激励しに週2回くらいは顔を出そうかな、と思っています。

 ――約10年前、久しぶりにマットに戻られまして、以前の選手と今の選手の気質の違いなどは感じられましたか?

 小幡 今の子は、いい子ばかりですね。間違ったことをする子はいないし、ずる休みもしない(笑)。昔は、乱暴者も多くいました。それだけ、強かったですけどね(笑)。

 ――ずる休みする選手もいたのですか?

 小幡 いましたよ(笑)。今の子は、本当にいい子ばかりです。

 ――時代の流れでしょう。けんかも、ちょっとした非行も、許されない時代になっています。こういう時代に、強い選手を育てるには、どうすればいいのでしょうか。

 小幡 レスリングに取り組めるのは10年くらいです。キッズが盛んになっていますが、本気になってレスリングに取り組めるのは10年ですよ。その青春時代に、レスリングを自分の人生の中でどんな位置づけに置くかにかかっていると思います。他のことを犠牲にしてレスリングにどの程度集中できるかどうか、集中させられるかどうか、が問題だと思います。

教え子の試合を見つめる小幡さん=2019年2月、関東高校選抜大会

 ――指導者がちょっと厳しいことを言うと、「パワハラ」と言われ、訴えられてしまう時代です。指導者にとって、大変な時代になっています。

 小幡 (訴えられることを)怖がっては駄目です。一生懸命に教え、熱が入れば、語気も強まります。昔は手も出ました。一生懸命にやれば、そうなることもあったと思います。今は駄目ですが。

 ――さぼっている選手に、「何やってんだ! 出て行け!」という怒鳴り声をあげることすらできないようなムードです。

 小幡 そんな馬鹿な話はないです。いじめとしか言いようのない、怨念を持って怒鳴ったり、たたいたりするのは論外ですが、一生懸命な指導の中でのことなら当然のこと。怖がってはいけない。厳しい叱責すら駄目、というのなら、「私には指導する自信がないので、抜けてください」と、事前に保護者に了解をもらうべきでしょう。

自主的に練習する米国選手、コーチの厳しすぎる叱責はない

 ――アメリカでのコーチの指導は、どんなものでしょうか。

 小幡 たたく、ということはなかったですが、怒鳴ることは多々ありました。まあ、あまり厳しいことは言いませんよ。「そうじゃないだろう!」と言うくらいで、それ以上の叱責はないです。選手は自主的にやっていますから。

 ――ブラジルのサッカーは、コーチは駄目な選手は相手にしないので、叱責することはなく、パワハラなんてありえない、と言われています。

 小幡 米国のレスリングでも同じです。奨学金がからんでいるので、成績が上がらないと、自費で大学に通うか、金が続かなければ辞めるしかないんです。有望な選手のみ、奨学金がもらえ、コーチも指導するという実力社会です。勝負の世界では当然なこと。選手も、コーチに引き上げてもらうのではなく、自分で成績を出さなければならないことを分かっています(だから自主的に練習する)。

1965年3月、2度目のNCAA王者に輝いた小幡さん(前列中央)。右端はチームメートで初優勝の八田忠朗氏=日本協会80年史より(提供・八田氏

 ――日本は、そうはならないですね。どんな選手でも引き上げてやろうと思う。そうすると厳しい指導にもなってくる。

 小幡 パワハラで処分を受けた人もいますが、本当にパワハラの指導だったのかどうか、私には分かりません。現場を見て、いろいろ聞いてみないと分からないからです。怒る時に気をつけないといけないのは確かですが、選手がいい加減な練習をやっていたかもしれない。指導者が明らかに悪い、という場合もあるでしょう。

 ――アメリカでは選手ファーストが徹底していて、試合に負けると、選手がコーチに対して「ユーの指示通りに闘ったら負けた」と言うケースもある、と聞いたことがあります。本当でしょうか?

 小幡 私のいた大学では、試合に負けたことでコーチがつるし上げを受けたなんてことは、見たことも聞いたこともないです(笑)。他の大学からも、そんな話は伝わらなかったです。選手は、名コーチを頼って大学へ行くのが普通で、信頼し、尊敬しています。ですから、厳しいことを言われても、訴えることなんてないですね。

 ――来年の東京オリンピックは、会場に行かれるのでしょうか。

 小幡 混み合いますから行きません。テレビで応援しています。

UWW未公認ながらフィンランドで国際大会が開催される

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 新型コロナウィルスの感染拡大で今春から活動が停止したものの、現在は徐々に再開している世界のレスリング界。7月25日、フィンランド・クオルタネで地元フィンランドのほか、ドイツ、スイス、ノルウェー、エストニアの5ヶ国が参加してジュニア男子グレコローマンの「クオルタネ国際大会」が開催された。

5月に完成したクオルタネの練習場。欧州レスリング界の一大拠点を目指す同地で、国際大会が再開された=UWWホームページより

 世界レスリング連盟(UWW)は8月末まで国際大会を行わないことを決めており、現段階ではUWW未公認の国際大会となるが、数ヶ国が集まっての国際大会は、コロナ禍のあと初めて。UWWデータベースは、これまでインドのプロリーグなどUWW非公認であっても、適正な国際大会は結果を掲載しており、この大会の結果も掲載している。

 フィンランドは新型コロナの感染拡大を受け、3月16日に緊急事態を宣言。移動制限や都市封鎖を行い、徹底した危機管理によって感染者の抑え込みに成功。感染者数の減少と鈍化に伴い、現在では多くの国からの入国制限をなくしている。日本の外務省による渡航中止勧告は継続中だが、徐々に緩和される見込みという。

 クオルタネは首都ヘルシンキの北方300kmに位置し、2012年に世界大学選手権が開催された。今年5月にはUWW公認の大規模なレスリングのトレーニング施設が完成。欧州レスリング界の一大拠点を目指している。

 フィンランドでは今年11月23~29日にタンペレでU23世界選手権の開催が予定されている。

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