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10.24~25全国社会人オープン選手権(埼玉・富士見市)は実施、社会人段別選手権は中止

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 日本社会人連盟は、本ホームページおよび連盟メールにおいて実施した10月24日(土)~25日(日)の全国社会人オープン選手権(埼玉・富士見市立市民総合体育館)に関する選手と関係各位へのアンケート結果をまとめ、全国社会人オープン選手権は団体戦・個人戦ともに実施することを決めた。

 一方で、段別社会人選手権は参加希望者が少ないため、今年の大会は中止する。

 アンケート結果は下記の通り。


《pdfファイル》

令和2年7月22日

所属長 各位

令和2年度全国社会人オープン大会及び段別選手権大会開催について
アンケート(御礼)

 平素より、日本社会人レスリング連盟の諸事業につきましては、格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。

 さて、6月26日に(公財)日本レスリング協会ホームページ及び本連盟メールにて、ご案内致しました、全国社会人オープン大会及び段別選手権大会開催アンケートの回答を報告させて頂きます。

大会参加に関するアンケート結果

1 団体戦について

参加多数により実施

2 個人戦について

(1) 選手権(オープン)
参加多数により実施

(2) 段別選手権
参加少数により今大会は中止

3 その他(要望等)
細心の注意を払い開催して欲しい旨の回答多数あり。

ご協力ありがとうございました。

日本社会人レスリング連盟
会長  早 坂 孝


【訂正】全国社会人オープン選手権は「10月24日(土)~25日(日)、埼玉・富士見市立市民総合体育館」

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 7月28日掲載の「全国社会人オープン選手権(埼玉・和光市)は実施、社会人段別選手権は中止」の記事中、期日と場所が「10月10日(土)~11日(日)、埼玉・和光市体育館」となっていますが、「10月24日(土)~25日(日)、埼玉・富士見市立市民総合体育館」に変更となっていました。

 おわびして訂正します。

【記録】1981年の段階で世界3位だった日本…世界選手権・国別メダル獲得数(男子フリースタイル)

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 世界選手権・男子フリースタイル(1951年開始)のメダル獲得数は、ソ連~ロシアが「金180・銀63・銅73」の合計316個をマークして圧倒的な強さを発揮。金メダルの総数は431個なので、41.8%、メダル総数は1388個なので、22.8%を手にしている。

 ロシアとして参加したのは1993年からで、すでに59個の金メダルを獲得。イランの47個、米国の46個を上回っているのだから、驚嘆的な強さだ。

1981年世界選手権で優勝した朝倉利夫。日本の男子フリースタイル22個目の金メダルだった=本人提供

 日本は「金24・銀23・銅28」の合計75個のメダルを獲得。金メダルの数で6位(ソ連・ロシアを一つと考えれば5位)、メダルの数で7位(同6位)となっている。

 2017年に高橋侑希(57kg級)が優勝する前の金メダルは1981年の朝倉利夫(52kg級)だった。この時点での金メダル数は22個。ソ連の77個とイランの27個には及ばなかったものの、トルコの21個、米国の9個を上回って世界3位の獲得数だった。

 米国の9個というのは意外に思うかもしれないが、金メダルを量産し、国別対抗得点でソ連のライバルとなったのは1984年ロサンゼルス・オリンピックの後のこと。世界選手権で初めて金メダルを取ったのは1969年大会のフレッド・フォッザード(82kg級)。

 ただし、戦後初の1948年ロンドン・オリンピックから1976年モントリオール・オリンピックまでに10人の優勝者を輩出しているので、4年に1度に勝負をかけていたのだろう。

 各国のメダル獲得数は下記の通り。


世界選手権・男子フリースタイル/国別メダル獲得数(1951年第1回大会~2019年大会)

No. 国   名
1 ソ 連 121 44 38 203
2 ロシア 59 19 35 113
3 イラン 47 49 47 143
4 米 国 46 47 54 147
5 トルコ 29 28 32 89
6 日 本 24 23 28 75
7 ブルガリア 22 54 46 122
8 キューバ 12 16 26 54
9 ジョージア 9 8 18 35
10 アゼルバイジャン 6 14 11 31
11 韓 国 6 10 8 24
12 北朝鮮 6 4 1 11
13 東ドイツ 5 15 17 37
14 ウクライナ 5 7 20 32
15 ウズベキスタン 5 6 14 25
16 アルメニア 5   5 10
17 西ドイツ 4 3 7 14
18 モンゴル 3 14 20 37
19 ドイツ 3 5 4 12
20 カナダ 2 5 6 13
21 ベラルーシ 2 4 11 17
22 スウェーデン 2 3 6 11
イタリア 2 3 5 10
24 ハンガリー 1 8 12 21
25 ルーマニア 1 4 9 14
インド 1 4 7 12
27 チェコスロバキア 1 2 2 5
モルドバ 1 2 1 4
29 フランス 1 1 2 4
30 ポーランド   7 7 14
31 フィンランド   6 1 7
32 カザフスタン   5 10 15
33 ギリシャ   3 2 5
34 ユーゴスラビア   2 1 3
35 中 国   1 1 2
マケドニア   1 1 2
スロバキア   1 1 2
38 バーレーン   1   1
プエルトリコ   1   1
タジキスタン   1   1
41 キルギス     4 4
42 パキスタン     2 2
43 アルバニア     1 1
スペイン     1 1
イスラエル     1 1
スイス     1 1
合   計 431 431 526 1388

2022・26年アジア大会(中国・杭州/愛知・名古屋)共同PR動画が公開される

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2026年アジア大会レスリング競技が予定されている新・愛知県体育館の完成予想図=愛知県HPより

 2022年杭州アジア大会と2026年名古屋アジア大会の組織委員会は、共同でプロモーション・ビデオを作成。アジア・オリンピック評議会(OCA)のホームページを通じて公開された。ビデオは約3分間(短縮版は約30秒)で、両都市がお互いのアジア大会の成功に向け、広報活動の一環として共同で制作した。

 2022年大会は9月10〜25日に中国・杭州で、2026年大会は9月19日~10月4日に名古屋市で行われることが決まっている。

 名古屋大会でのレスリング競技は、名古屋市の名城公園内に新たに建設される愛知県体育館(現在の体育館から500mほど北側に、2025年完成予定。収容人員1万5000人=横浜アリーナ級の大きさ)で行われる。

 日本でアジア大会が開催されるのは、1958年東京、1994年広島に続き、32年ぶり3度目。


《短縮バージョン=32秒》

《フルバージョン=3分8秒》

米国が10月9~11日に全米選手権を開催、12月の世界選手権(セルビア)の予選の可能性も

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 米国協会はホームページで、10月9日(金)~11日(日)にアイオワ州コーラルビルでシニアの全米選手権を開催することを発表した。実施されるのはオリンピック階級(各スタイル6階級)の予定だが、東京オリンピックの選考にはからまないという。

 ただし、12月に世界レスリング連盟(UWW)が世界選手権(セルビア)の開催を発表しており、この予選になる可能性もあるとのこと。その場合は各スタイル10階級で実施。決勝は、これまで米国代表を決める闘いに採用している3戦2勝システム(最高3試合を実施し、2勝した選手が勝ち)を取り入れるという。

 米国は、UWWの会議では今年中の国際大会開催には反対していた。今回の発表では、世界選手権への出場の可能性を示唆したことになる。

 今年の世界選手権は、出場国が「前年大会の上位10ヶ国のうち8ヶ国を含めた70%以上」などを開催の条件としている。米国は昨年の世界選手権では、男子フリースタイルと女子で国別対抗得点10位以内に入っている。

【特集】セカンド・キャリアがスタート! 難病を克服した渡利璃穏さん(アイシン・エィ・ダブリュ)

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 アスリートの引退後、すなわち“セカンド・キャリア”の問題は、スポーツ界全体の課題として、以前にも増して大きく存在している。華々しい活躍をした選手ほど、競技一筋の生活を送ってきたケースが多く、いざ社会に出てみると何をしていいのか分からない場合も少なくない。

選手生活にピリオドを打ち、第二の人生をスタートさせた渡利璃穏さん

 難病を克服し、自らの名前のつくリオデジャネイロ・オリンピックの舞台に立った渡利璃穏さん(わたり・りお=アイシン・エィ・ダブリュ)は、昨年限りでマット生活にピリオドを打ち、同社の社員として必死に奮戦している。所属は選手時代と同じ人事部だが、朝9時から午後6時までデスクワークの毎日だ。

 “28歳のOL1年生”は、電話の受け方とパソコンのマスターから始まった。「レスリングしかしていなかったので、(ビジネスに)必要な敬語も知らなかったんですね」。業務に必要なメールを送る場合も、友達同士のライン感覚の文章というわけにはいかない。周囲に「こんな文面でいいでしょうか?」と聞きながらの毎日。

 幸い、年下の先輩を含めて親切に指導してくれる人ばかり。オリンピック選手として特別扱いされることは? 「それは全くないです。その方がいいですね」と言う。

 OLとしてのデスクワークは初めての経験だが、渡利さんは高校の時、ほぼ全教科で「5」を取るなど、勉強はしっかりしていた選手だ。机に長時間向かうことは苦にはならない。「今の(人生の)目標は?」と聞くと、「仕事をしっかり覚えたいですね」と即答。オリンピアンなら後進の指導を目指すケースも多いが、今のところ指導者の道は考えていない。

■2008年7月29日:【特集】世界ジュニア選手権出場のホープは学業「オール5」…女子59kg級・渡利璃穏(愛知・至学館高)

闘病生活を経て、2018年の世界選手権へ出場

 体の異常が見つかったのは、2016年春、オリンピック出場を決めて燃えていた時だ。会社の健康診断のレントゲンで胸に影があり、再検査を受けたところ、腫瘍が見つかった。オリンピック後に精密検査を受けたところ、血液のがんの一種である「ホジキンリンパ腫」であることが判明。以後、闘病生活へ入った。

2018年全日本選抜選手権決勝、終了間際に逆転勝ちし、世界選手権の代表権を勝ち取った=撮影・矢吹建夫

 現代医学と多くの人の励ましで病魔を克服し、試合出場ができるようになったのが2018年春。全日本選抜選手権68kg級を勝ち抜いて10月の世界選手権(ハンガリー)の代表へ。地元のオリンピック出場も視野に入った。

■2018年6月1日:【特集】悪性リンパ腫(血液のがん)との闘いを乗り越え、渡利璃穏(アイシンAW)が世界へ再挑戦!

■2018年6月25日:【全日本選抜選手権・特集】悪性リンパ腫に打ち勝った不屈の選手が復活優勝!…女子68kg級・渡利璃穏(アイシン・エィ・ダブリュ)

 しかし昨年春ごろから、けがが多くなり、頑張りたい気持ちと体とにずれが生じてきた。「新しいけがではなく、前から痛めていたところなどです。体が完全に元に戻らないうちに復帰してしまったのかもしれません」。

 練習が思うようにできず、試合に臨んでも100パーセント勝てる、という気持ちが湧いてこない。優勝するには、国内では3~4試合は勝ち抜かなければならない。それが厳しいと感じた。世界なら4~5試合、場合によっては6試合を闘うことが必要。「国内の3試合がぎりぎりでは…」。世界最高の舞台で闘う厳しさを知っているだけに、自分の体がそこまで戻らないことも感じた。

最高に燃え、輝いたオリンピック・アジア予選

 体力の衰えは、選手ならだれもが感じること。「潮時」という気持ちと、「やめたくない」という気持ちとが激しくぶつかるのが普通だろう。渡利さんも、その衝突はあった。「絶対に勝てる、という自信がないのに試合に出るべきではない」「試合に出ることで、応援してくれる人に感謝の気持ちを伝える」という2つの気持ちが複雑に絡み合っていた。

 「最終的に決断したのは、勝てないのにマットに上がりたくない、というプライド?」との問いに、「それはあったと思います」と否定しなかった。「ボロボロな姿で終わりたくはない、という気持ちはありましたね」と続けた。

最高に燃えたオリンピック・アジア予選。リオデジャネイロで銀メダルを取った選手を破った=撮影・池田安祐美

 こうして選手生活にピリオドを打ち、会社と話し合った結果、今年1月1日からレスリングをする契約の嘱託社員から正社員へ。至学館大のある大府市から会社のある安城市まで、高校の時の通学以来という電車での通勤を始めた。

 63kg級の選手が75kg級に増量してまで出場したオリンピック。同級本命の皆川博恵(当時鈴木=クリナップ)が負傷せず、万全の状態だったら、「勝てなかったと思います」と言うから、運が大きな味方をしたオリンピック出場だった。

 ただ、オリンピック出場を実質的に決めた2016年3月のアジア予選(カザフスタン)は、強豪モンゴル選手のほか、決勝では、リオデジャネイロで銀メダルを取ることになる地元のグゼル・マニュロワを撃破する強さを見せている。自身のレスリング人生の中で「最高の時」だったと振り返ることからしても、前述の言葉は謙遜かもしれない。

壮絶な浮き沈みの経験が、これからの人生に役立つ!

 自動車業界は現在、「ガソリン車の廃止・電動化」「自動化」「コネクティッド」などの技術進化によって「100年に一度の大変革時代」と言われている。その流れもあり、アイシン・エィ・ダブリュは来年4月、アイシン精機と経営統合して新時代を迎える。コロナ禍で取り巻く状況はさらに厳しくなっている。「しっかりとやっていきたいと思います」と気を引き締める。

現役最後の大会となった2019年全日本選抜選手権=撮影・矢吹建夫

 セカンド・キャリアがうまくいかない元アスリートは、スポーツ一筋で社会人になるべく準備をしていなかった人ではなく、「選手時代の栄光を引きずり、プライドを捨てられず、気持ちを切り替えられない人」とも言われている。

 渡利さんは「アジア大会優勝(63kg級) → オリンピック出場ならず → 75kg級でオリンピック出場 → がんとの闘い → 復帰して日本代表へ」と、激しい浮き沈みを経験してきた。病魔との闘いは、過去の栄光が何の役にも立たない壮絶な闘いだった。それを克服した精神力なら、社会の厳しさに直面しても、しっかりとやってくれることだろう。

 渡利さんの新たな挑戦は、始まったばかりだ。

【担当記者が見たレスリング(13)】今はオンライン取材だが、いつの日か発信力を取り戻してほしい…牧慈(サンケイスポーツ)

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(文=サンケイスポーツ・牧慈)

浜口道場での浜口さん。人生訓をしっかり教えてくれた

 2003年5月某日の昼、私は妻と東京は浅草にあるアニマル浜口トレーニングジムの2階にあるマットの上にいた。普段は浜口京子選手たちが汗を流している道場である。数日前に結婚式を挙げていたのだが、浜口会長夫妻からお祝いの品をいただいたので、お礼に寄らせていただいたのだ。

 まだ練習生も来ていない時間帯で、2階には浜口会長ただひとり。壁にはひときわ大きな「氣合」の文字を中心に、浜口会長が書物などから感銘を受けた格言や大事にしている言葉がびっしりと書かれている。テレビなどでもすっかり有名になった光景だ。

 吉田松陰の言葉から、「人は泣くんだ」などの簡潔なメッセージまで、私たち夫婦だけのためにほぼ1時間、ノンストップでそれらの言葉の持つ意味を熱いアクション付きで語り続けていただいた。今でもテレビでアニマル浜口会長の姿を拝見すると、夫婦でこの時のことを思い出している。

 つい長々と書いてしまったが、思い返せば運動部に配属されて初めての出張が茨城・高萩市でのレスリング取材だった(1992年バルセロナ・オリンピック第1次選考会)。それなのに、帰りの電車の中では太田章選手らに缶ビールとおつまみを勧められ、本田多聞選手らのちにプロレスへ進む選手もいて、車内はやたらと明るい雰囲気。初めてのスポーツ選手との交流は、新人記者にはうれしい経験だった。

感染防止のためオンライン取材は仕方ないが…

 レスリング担当といっても、新聞社の場合、プロ野球の番記者のように年がら年じゅう張り付いているわけではない。にもかかわらず、合宿地で一緒に温泉につかったり、酒席をともにしたりと、レスリングの取材はとても〝密〟だった。

担当記者が催した2004年アテネ女子チームの鈴木光監督(後方左側)の慰労会。右端が筆者

 女子がオリンピック種目に採用され、吉田沙保里選手らがメダルを獲得する瞬間を取材できた私などは、幸せに〝八田イズム〟を体感できた方なのだろう。オリンピックからレスリングが除外されそうになった騒動(2013年)などの時は、すでに現場取材から離れていた。

 ひるがえって、今年に入ってのコロナ禍である。プロ野球の取材もサッカーの取材も、選手に話を聞くのはオンラインだ。大相撲の7月場所もオンラインでの取材である。負けると取材に応じない力士も多いそうだが、それに食い下がって話を聞き出そうとするすべもない。

 大会が軒並み中止になっているレスリングも、いずれは再開されるだろうが、新型コロナウイルスの感染者が再び増えている状況を鑑みると、取材はオンラインが中心となるのは間違いない。感染のリスクを考えれば当然である。

関西でも開催してほしい全日本選手権級のビッグイベント

 一方で、若い記者が選手の人柄に直接触れる機会は減る。今の時代、SNSをうまく活用して自ら発信する選手もいるだろう。ただ、SNSが不得手な選手もいる。そうした選手の活躍や言葉を伝えるのも記者の役目だと考える。

2018年7月、大阪・舞洲アリーナで行われた全国少年少女選手権。シニアのメジャー大会が西日本で行われることは、最近ではほとんどない

 取材者とのコミュニケーションに積極的なのが、日本レスリング界の伝統だ。いつかまた取材環境が変わり、レスリングの発信力が発揮される日がくることを信じたい。

 発信力といえば、もうひとつ。大阪本社に転勤後に痛感していることは、関西にいるとレスリングの取材に携わることがないことだ。レスリングのビッグイベントといえば全日本選手権と全日本選抜選手権だが、いずれも会場は東京の代々木競技場第2体育館か駒沢体育館。シニアの全国大会が関西で行われることは皆無である。

 陸上競技やフィギュアスケートのように、全日本選手権の会場が毎年変われば、関西でも見られるかもなぁ、と思ってしまう。数年に一回、東京以外で開催するのでもいい。地方でもトップレベルの選手が出場する大会に触れる機会があれば、競技の普及にもつながると思われるのだが。

牧慈(まき・あつし) 1967年、神奈川県生まれ。神奈川・栄光学園高~上智大卒。1991年、産経新聞社に入社し、サンケイスポーツに配属。オリンピックは1996年アトランタ大会など夏季2大会、冬季2大会を現地取材。大相撲やプロ野球も担当し、2014年から大阪本社で運動部デスク。先日、愛犬(ミニチュアシュナウザー)が亡くなったばかりで傷心中。

担当記者が見たレスリング

■7月25日:IOCに「認められる」のではなく、「認めさせる」の姿勢と誇りを…森田景史(産経新聞)
■7月19日:弱さを露わにした吉田沙保里、素直な感情と言葉の宝庫だったレスリング界…首藤昌史(スポーツニッポン)
■7月11日:敗者の気持ちを知り、一回り大きくなった吉田沙保里…高橋広史(中日新聞)
■7月4日: “人と向き合う”からこそ感じられた取材空間、選手との距離を縮めた…菅家大輔(日刊スポーツ・元記者)
■6月27日: パリは燃えているか? 歓喜のアニマル浜口さんが夜空に絶叫した夜…高木圭介(元東京スポーツ)
■6月20日: 父と娘の感動の肩車! 朝刊スポーツ4紙の一面を飾った名シーンの裏側…高木圭介(元東京スポーツ)
■6月13日: レスリングは「奇抜さ」の宝庫、他競技では見られない発想を…渡辺学(東京スポーツ)
■6月5日: レスラーの強さは「フィジカル」と「負けず嫌い」、もっと冒険していい…森本任(共同通信)
■5月30日: 減量より筋力アップ! 格闘技の本質は“強さの追求”だ…波多江航(読売新聞)
■5月23日: 男子復活に必要なものは、1988年ソウル大会の“あの熱さ”…久浦真一(スポーツ報知)
■5月16日: 語学を勉強し、人脈をつくり、国際感覚のある人材の育成を期待…柴田真宏(元朝日新聞)
■5月9日: もっと増やせないか、「フォール勝ち」…粟野仁雄(ジャーナリスト)
■5月2日: 閉会式で見たい、困難を乗り越えた選手の満面の笑みを!…矢内由美子(フリーライター)

 

Japan Wrestling Federation News ― July 2020 (National camps/Fumita/Murata)

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National training camps on again, off again

With the full opening of society following an extended period of nationwide self-restraint to contain the spread of the coronavirus, the Japan federation resumed holding national team training camps at the Ajinomoto National Training Center in Tokyo for the first time in 3 1/2 months.

The start of the women’s national team camp ( photo by Sachiko Hotaka)

The women’s team, with limited numbers, had the first camp, starting on July 2, and the Greco-Roman squad followed from July 6. Each camp lasted seven days under strict protocols to establish a virus-free “bubble” at the NTC.

However, when the number of confirmed new cases of coronavirus in Tokyo surpassed 100 on successive days from July 2, leading to fears of the beginning of a second wave, it was decided to cancel the men’s freestyle camp that was scheduled to start July 22. Camps in each style scheduled for August were also abandoned.

In contrast to training camps in normal times, the women this time had just eight participants ― four of the five who have already qualified for the Tokyo Olympics (Risako KAWAI, Yukako KAWAI, Sara DOSHO and Hiroe MINAGAWA); Yui SUSAKI, who will enter the Asian Olympic Qualifying tournament at 50kg; and three others. It was the first time for the squad to gather since the last camp at the NTC on March 17-22.

Mayu MUKAIDA, newly graduated from Shigakkan University, was excused from the camp due to commitments with her new employer and corporate sponsor.

World and Olympic champion Risako KAWAI ( photo by Sachiko Hotaka)

While the media was barred from entering the wrestling room to minimize contact, the initial practice session was streamed live on the internet, and each of the top wrestlers had a “press teleconference.”

All wrestlers and coaches underwent testing for antibodies (all tested negative). Upon entering the wrestling room, all had their temperature taken, and the soles of their wrestling shoes were disinfected in measures to keep the room as sterile as possible.

At this stage, wrestling practices around the country had not yet resumed or only just started, so the federation’s aim was basically to start slow and prevent injuries. The women’s first practice session contained no live wrestling at all and was dedicated to stretching and building up core muscles, followed by basic drills such as high single-leg takedowns and gut wrenches.

“There are cases when you suddenly start [hard] training and you tear an Achilles tendon,” said Hideo SASAYAMA, the women’s team technical development director. “As such, we toned things down this time.”

Fumita sees positive side of postponement

For the Greco-Roman camp, world champion and Olympic gold medal hopeful Kenichiro FUMITA was among 22 wrestlers who took part in the first national team practice since March 18-24. Like the women, all of the wrestlers and coaches tested negative for antibodies, and teleconferencing interviews were held afterward.

The Greco-Roman team practices ( photo by Sachiko Hotaka)

“Long time, no see,” were the first words uttered by Shingo MATSUMOTO, the Greco-Roman team technical development director in greeting the partipants.

Powerhouse Nippon Sports Science University, where Matsumoto is head wrestling coach and serves as a lecturer, had already resumed practice for current students and alumni. But for those in the Self-Defense Forces and other teams, it was Matsumoto’s first time to see them in over three months, and his face showed an expression of relief.

During the long months of self-restraint, when wrestling rooms and gyms were shuttered, Fumita was left to his own devices to develop a workout routine at home. Moving tables and a sofa to make space, he followed workouts devised by a trainer, or used exercises he learned on Youtube. “I’m glad I have the opportunity to put to use what I came up with,” Fumita said in showing his excitement at his first national camp in such a long time.

World champion Kenichiro FUMITA ( photo by Sachiko Hotaka)

Fumita was concerned that the extended time away from the mat may have led to “losing my touch.” But once he got going, he found he was not so off form. No doubt his endurance and strength were not at high levels, but he had lost nothing in his arm throws and other techniques.

Fumita said he was shaken when he heard of the postponement of the Tokyo Olympics. “I wondered if I could maintain my motivation for another year,” he said. But after letting it sink in and looking at it calmly, he resolved to “improve myself over the year.”

As he never had any intention of retiring after the Tokyo Olympics, all the postponement did was change the timing of one of his objectives. “I’m not looking at it from a negative point of view,” he said. “If I properly prepare, I can win a gold medal whether it’s this year or next.”

Former Yoshida rival Murata joins UFC

Kanako MURATA, who famously gave superstar Saori YOSHIDA some of her toughest domestic matches before switching to mixed martial arts after failing to make the 2016 Olympics, signed a contract to compete in the Ultimate Fighting Championship, the largest promoter of MMA fights.

Kanako MURATA

Murata, who won her lone national title at 55kg in 2012 (Yoshida skipped that tournament), had signed the deal in March, but because of the spread of the coronavirus, the opportunity to make an official announcement was not available. “It is finally hitting me now that the annoucement has been made,” Murata said.

When Murata came up short of making the Rio Olympics, she decided not to shoot for the Tokyo Games four years later. “If I had waited for Tokyo, I would have been 27 at the time,” she said. “I am not so skillful, and it would not be possible to then join MMA. If I was going to try something new, that was the right time to do it.”

Murata began her MMA career after graduating from Nihon University. She made her debut in April 2016 with a victory at a RIZIN Fighting Federation event. She found continued success and last year joined Invicta FC, a U.S.-based women’s MMA circuit. She became its strawweight champion, making her the second Japanese with a title.

Amid the global pandemic, UFC has held events with no spectators. Murata’s debut fight has not yet been set, but she is hoping for sometime after September.

It was at the 2013 Meiji Cup All-Japan Invitational Championships that Murata, a two-time world junior champion at the time, stole the spotlight, even in defeat. She advanced to the 55kg final against Yoshida, and drew gasps when she threw the three-time Olympic gold medalist onto her back and nearly secured a fall. In the end, Yoshida rallied and held on for a 6-5 victory.

Murata, a product of the JOC Elite Academy, met Yoshida four times, including the finals of both the Meiji Cup and Emperor’s Cup in 2011. She lost all four, but gave Yoshida a tough fight each time.

Yukiko Tomiyama, wife of JWF vice president, dies at 63

It is with great sadness that we announce the death of Yukiko TOMIYAMA, the wife of JWF Vice President Hideaki TOMIYAMA. She was 63.

Mrs. Tomiyama died on July 24 in the hospital after an extended fight with cancer.

The two were classmates at Nihon University and were married after Hideaki won a gold medal at the 1984 Los Angeles Olympics. She was diagnosed with cancer in January this year which eventually spread throughout her body.

―Translation and additional text by Ken Marantz


【2011年思い出の動画(3)】小原日登美、吉田沙保里、伊調馨がオリンピック代表を決める…全日本選手権(女子)

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 9月の世界選手権(トルコ)でメダルを取った選手は、優勝すれば翌年のロンドン・オリンピックの代表に内定する規定。女子48kg級の小原日登美(自衛隊)、55kg級の吉田沙保里(ALSOK)、63kg級の伊調馨(ALSOK)が勝ってこの規定をクリアし、いち早く代表の座を勝ち取った。

 女子で残る72kg級は浜口京子(ジャパンビバレッジ)が勝ち、日本レスリング界で歴代単独1位となる15度目の優勝を達成。翌春のアジア予選(カザフスタン)に3度目のオリンピック行きのキップをかけることになった。(2011年12月21~23日、東京・代々木競技場第2体育館)


《女子・決勝》

【48kg級】
小原日登美(赤=自衛隊)○[2-0(2-1,3-0)]●登坂絵莉(愛知・至学館高)


【51kg級】
宮原優(青=JWA/東京・安部学院高)○[2-1(2-1,0-1,3-1)]●菅原ひかり(愛知・至学館高)


【55kg級】
吉田沙保里(赤=ALSOK)○[2-0(B2-2,1-0)]●村田夏南子(JWA/東京・安部学院高)


【59kg級】
齊藤貴子(赤=自衛隊)○[2-0(1-0,1-0)]●島田佳代子(自衛隊)


【63kg級】
伊調馨(赤=ALSOK)○[フォール、1P1:59(F5-0)]●渡利璃穏(至学館大)


【67kg級】
土性沙羅(赤=愛知・至学館高)○[2-1(3-0,0-1=2:08,1-0)]●飯島千晶(日大)


【72kg級】
浜口京子(赤=ジャパンビバレッジ)○[2-0(3-0,1-0)]●新海真美(アイシンAW)

【記録】最近3年間では世界3位の日本…世界選手権・国別メダル獲得数(男子グレコローマン)

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 男子グレコローマンの世界選手権は、近代オリンピックが始まった8年後の1904年にオーストリアで開始。1922年まで断続的に続いたが、そこで途切れ、戦後の1950年に再開された。初期の大会には欧州しか出場していなかった。本格的に世界の闘いになった1950年以降の大会で集計すると、男子フリースタイルと同じくソ連・ロシアが圧倒的な強さを見せている。

2017・19年に世界を制した文田健一郎=写真は2019年大会

 ソ連は1991年までに「132個の金メダル」を獲得し、2位はロシアの「44個」。メダル総数も、この2ヶ国で「301個」と、2位のブルガリアの「116個」を大きく引き離している。

 上位には、ブルガリア(金34個)、ハンガリー(金27個)、トルコ(金24個)といった欧州の国が並び、キューバがパンアメリカン最高の「金18個」で7位。アジアはイランが「金12個」、韓国が「金11個」となっている。

 日本は「金6・銀7・銅11」で、金メダルの数は15位タイとなっている。ただし、2017~19年の3年間では「金3個」を獲得。ロシアの「8個」、トルコの「4個」に続いて世界3位となっている。

 各国のメダル獲得選手は下記の通り。


世界選手権・男子グレコローマン/国別メダル獲得数(1950~2019年大会)

No. 国   名
1 ソ 連 132 49 30 211
2 ロシア 44 22 26 92
3 ブルガリア 34 34 48 116
4 ハンガリー 27 38 33 98
5 トルコ 24 30 36 90
6 スウェーデン 19 20 23 62
7 キューバ 18 12 21 51
8 ルーマニア 14 26 25 65
9 イラン 12 6 23 41
10 ポーランド 11 28 18 57
11 韓 国 10 12 17 39
12 ドイツ 10 6 13 29
13 フィンランド 7 12 14 33
14 アルメニア 7 9 9 25
15 日 本 6 7 11 24
アゼルバイジャン 6 7 11 24
17 ジョージア 6 5 12 23
18 ユーゴスラビア 5 17 16 38
19 米 国 5 12 15 32
20 カザフスタン 5 8 13 26
21 ウクライナ 4 5 11 20
22 西ドイツ 3 9 12 24
23 フランス 3 5 5 13
24 エジプト 3 2 4 9
25 東ドイツ 2 8 6 16
26 べラルーシ 2 7 7 16
27 チェコスロバキア 2 4 9 15
28 セルビア 2 1 6 9
29 エストニア 2 1 2 5
30 イタリア 1 4 6 11
31 ウズベキスタン 1 4 5 10
32 ノルウェー 1 2 5 8
33 中 国 1 1 3 5
イスラエル 1 1 3 5
35 北朝鮮 1   2 3
36 デンマーク   5 2 7
37 モルドバ   4   4
38 チェコ   2 2 4
キルギス   2 2 4
40 クロアチア   1 2 3
リトアニア   1 2 3
42 レバノン   1 1 2
43 トルクメニスタン   1   1
44 ギリシャ     6 6
45 オーストリア     2 2
46 ベルギー     1 1
チ リ     1 1
インド     1 1
スイス     1 1
スロバキア     1 1
シリア     1 1
合    計 431 431 525 1387

UWWがウェビナーを「大成功」と評価、今後の主流となるか

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UWWがスタートさせたウェビナー。今後盛んになりそう

 世界レスリング連盟(UWW)は7月30日、5月からスタートし、1週間に5回程度の頻度でネット中継しているウェビナーが「5大陸から視聴者を集め大成功している」とホームページ上で報じた。

 「ウェビナー」とは、ウェブ(web)とセミナー(Seminar)の造語で、オンラインによるセミナーのこと。新型コロナウィルスのパンデミック(世界的流行)によってコーチや審判が一堂に会することができなくなったため、オンラインで講義を実施。基本技術のアクションや、正しい判定(ポイント)などを1回につき約1時間、オンライン指導している。

 1回の配信で160~200人の視聴があり、ある都市に対象者を集めるより多くの人が参加している、とアピールしている(注=ウェビナーは、その時間が終わっても視聴できるので、トータルの数はもっと多いと思われる)。UWW審判委員会のアントニオ・シルベストリ委員長は「UWWウェビナーは、世界中のレフェリーにレスリングの判定技術を学んでもらい、スキルアップするための最新の方法。(コロナウイルスでの)困難な期間中に連絡を取り合う機会を提供してきたことも評価したい」とコメントしている。

 ただ、実施されている言語は、英語、フランス語、スペイン語で、8月からはロシア語が加わるが、当然のことながら(?)日本語でのウェビナーはなく、日本人にとっては敷居が高い。

 最新技術は言うに及ばず、微妙な判定の時のポイントの付き方を知ることは、審判にとって欠かせないし、選手の競技力向上に必要なこと。今後も盛んになりそうなだけに、生中継では無理にしても、その後、字幕を入れてもらうなどのシステムが待たれる。

 《UWWウェビナー日程》

小川工が玉名工を破る!…8.1熊本県高校総体代替大会/成績

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(2020年8月1日、熊本・北稜高校体育館)


学校対抗戦(内訳成績)

《個人戦・男女一覧表/男子トーナメント表》

一覧表 51kg 55kg 60kg 65kg 71kg 80kg 92kg 125kg

学校対抗戦

小川工○[4-3]●玉名工


個人戦・男子

▼51kg級[1]河野隆真(小川工2)、[2]林田玲音(小川工3)

▼55kg級[1]西谷一洲(小川工3)、[2]松下侑磨(小川工2)、[3]竹林真聖(玉名工3)

▼60kg級[1]岩田昇也(小川工2)、[2]村井廉(玉名工3)、[3]椛嶋亮太(北稜2)、浅川柊希(小川工3)

▼65kg級[1]西村将希(小川工3)、[2]平山稜(玉名工2)、[3]赤星楓(小川工2)

▼71kg級[1]三浦紘平(小川工3)、[2]大槻慶太(玉名工3)

▼80kg級[1]出田匠(玉名工3)、[2]松村龍翔(小川工3)、[3]赤坂寿葵哉(小川工3)、中川柊(済々黌2)

▼92kg級[1]城川晃輔(玉名工3)、[2]下村禅(小川工3)、[3]岡優希(小川工3)

▼125kg級[1]竹田廉(小川工2)、[2]小園大成(小川工3)


個人戦(女子)

▼47kg級[1]田中梨里花(北稜3)

▼53kg級[1]大野真子(北稜3)

▼74kg級[1]山田紗代(北稜3)

審判に挑戦!…UWWオンライン“判定ゲーム”(4)

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 世界レスリング連盟(UWW)は、公式ホームページ上で第4回の「判定クイズ」を掲載した。15の微妙なアクションが動画で流れ、3択、あるいは4択で瞬時にポイントを回答する。

 ファンには、リアルタイムでポイントを判断することでレスリングへの理解を深めることを期待し、 レフェリーにとっては強力な学習ツールとなる。

《クリック》

※メールアドレスを入力。名前(ニックネーム)を記入してスタート。各質問ごとに得点が加わり、上位5人の氏名、自分が何位なのかが分かる仕組み。

イランが正式に3位へ繰り上げ…2019年世界選手権・男子フリースタイル国別対抗得点

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国別対抗得点3位に繰り上がったイラン=2019年世界選手権リザルト

 イラン協会のホームページは8月5日、ドーピング違反によってウズベキスタンとシリアの選手が順位を剥奪された昨年9月の世界選手権(カザフスタン)に関し、国別対抗得点でイランの3位繰り上げが正式に認められ、近く3位のカップを手にすることを報じた。

 今年2月、同選手権の男子フリースタイル125kg級でウズベキスタンとシリア選手、同74kg級でフランス選手がドーピング違反となり、順位を剥奪された。これにより、125kg級で8位だったモヘビ・ヤドラフ・モハマドカズム(イラン)が6位へ繰り上がった。

 これにより、同選手が獲得した国別対抗得点は「6点」だったのが「9点」となり、イランの得点は「92点」が「95点」へ。3位だった米国の「94点」を上回ることになり、イランが3位になるべきだ、とアピールしていた。

 このほど、世界レスリング連盟(UWW)からイランの3位を認める連絡があり、公式リザルト(記録)も修正されている。イランは、2013年の世界選手権・国別対抗得点で優勝したあと、2014年と2015年に2位と強さを見せながら、2017年は9位、2018年は6位と順位を落としていた。今回の繰り上げで、3年での3位入賞なしは避けることができた。

《2019年世界選手権・男子フリースタイル国別対抗得点》

10.17~18全日本女子オープン選手権(静岡・焼津)は中止

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 10月17日(土)~10月18日(日)に静岡・焼津市総合体育館(シーガルドーム)で行われる予定だった全日本女子オープン選手権は、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から中止されることになった。


《pdfファイル》

令和2年8月5日

選手・関係者 各位

全日本女子レスリング連盟
       理事長 鈴木 光

令和2年度
全日本女子オープンレスリング選手権大会「中止」のお知らせ

 平素より、本連盟の諸事業につきましては、格別なるご高配を賜り厚く御礼申し上げます。

 さて、本連盟は、本年10月に開催予定の標記大会に向けて準備を進めておりましたが、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、「中止」することとなりましたので、お知らせいたします。

 皆様のご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。

(大会中止)
大会名:令和2年度 全日本女子オープンレスリング選手権大会

期 間:令和2年10月17日(土)~10月18日(日)

場 所:静岡・焼津市総合体育館 / シーガルドーム


【特集】人生、不幸は幸に変えられる! 91歳で2度目の東京オリンピック取材を目指す宮澤正幸さん(元協会広報委員長)

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 本来なら、この時期、各国の選手が幕張メッセで真っ赤に燃えていた。1年延期となったことで、選手にとっては、モチベーションの維持とともに、体力の維持も大変な状況となったが、90歳にして2度目の東京オリンピック取材を目標としてきた元日本協会機関誌編集長・宮澤正幸さん(元協会広報委員長=元日刊スポーツ記者)にとっても“長い1年間”になってしまった。

今でも試合取材を続ける宮澤さん=2019年7月(撮影・保高幸子)

 3月に延期が決まった時は、やはり「がっくりきた」と言う。8月3日からは白内障の手術のため、1泊2日の入院治療。オリンピックがなかったからこその決断だが、体の故障はいやおうなしにやってくる。しかし、長い人生で得た教訓として、「不幸を幸に変えればいい。この期間だからこそ、できることをやればいい」と思い直し、オリンピックがあったなら、とても手が回らないことを手掛けようと気持ちを切り替えたという。

 真っ先にやったのが、2年前の手術入院でたまっていた確定申告。「ためてしまいましてね…」。もちろん、これが人生の集大成としての「やりたいこと」であるわけはない。

 未完のライフワークは2つ。日本レスリングの祖、内藤克俊さん(1924年パリ・オリンピック銅メダル)の生き様をさらに深く掘り下げることであり、1932年のロサンゼルス・オリンピックにボート選手として出場した作家・田中英光の名作「オリンポスの果実」の真実を追求し、内容を掘り下げる記事だ(関連記事)。

拓大選手のオリンピック出場決定を待って80年史制作に着手

 実は、2本とも某月刊誌に寄稿済み。記事が空いた時などに編集長の目に留まり、正式に依頼がくるのを待っている。その時は、さらに肉付けをして内容を濃くして世に出したいという。

拓大80周年パーティーであいさつする宮澤さん=2018年11月

 もうひとつは、母校・拓大80年史の編集と制作だ。2018年に創部80年を迎え、それを受けての年史。同年11月の80周年パーティーでは、日本協会・西口茂樹強化本部長(拓大教授休職中=前拓大レスリング部部長)の発案で「2020年オリンピック前夜祭」という看板を掲げたので、「学生でもOBでも、オリンピック選手が生まれたら年史を出そう」となっている。こん身の力をこめた80年史を制作するため、エネルギーをしっかり充電しておきたところだ。

 新型コロナウィルスの感染拡大は、宮澤さんの楽しみをいくつも奪った。「初めて大相撲の東京場所に足を運ぶことがなかったですよ」と笑う。日刊スポ―ツ時代、横綱・初代若乃花の引退をスクープするなど相撲取材には右に出る記者がいなかった。定年後も、相撲記者クラブの会友会員だったので、東京場所がある時は、15日間のうち4日か5日は国技館に足を運んだ。今場所は取材に規制があり、行くことができなかった。「選手は練習ができず、大変でしょうね」と言う。

 一方で、「練習は、どんな形ででもできると思います」とも主張する。思い出すのが1968年メキシコ・オリンピック前の練習。高地での大会だったので、酸素不足の環境下での試合となる。八田一朗会長が考えたのは、濡れたタオルをマスクとして口を覆い、わざと呼吸困難な状態をつくっての練習だという。

間違いなく強化だった「ライオンとにらめっこ」

 医学的によかったのかどうか分からないが、勝つためには何でもやってみる、という“八田イズム”は素晴らしかったという。1964年東京オリンピックの前に実施した「ライオンとにらめっこ」もそう。

 今では「檻(おり)越しににらみ返してくるライオンはいない」と言われ、マスコミ向けのパフォーマンスと言われているが、そうでもないらしい。確かに、ライオンは選手からにらまれても悠然としていたそうだが、選手がコーチから「叫べ」などライオンを挑発するように言われ、その通りにしたら、ライオンが本当に吠えてきて、選手がびっくりして後ずさりしたという。

 わずかながら、度胸付けの効果はあったようだ。寝泊まりしていた青山レスリング会館に近い合宿所から上野動物園までの約10kmはランニング、しかもかなり早いスピードでの往復だった。「ライオンとにらめっこは、間違いなく強化でしたね。これは今でもできる」と振り返る。

 「90歳で迎える東京オリンピック」が、「91歳で迎える東京オリンピック」に変わった。しかし、人生の最後の目標は2024年パリ・オリンピックへ出向き、100年前に内藤克俊さんが燃えた地でレスリングを見て、内藤さんをしのぶこと。「思い出の地に行きたいですね」。

 宮澤さんにとっては、東京オリンピックの1年の延期は、人生の目標への通過点での出来事でしかない。

欧州カデット&ジュニア選手権は中止、3世代の世界選手権は議論されず

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 世界レスリング連盟(UWW)は8月5日、10月5~11日にポーランドで予定されていた欧州カデット選手権と10月19~25日にマケドニアで予定されていた欧州ジュニア選手権の延期をホームページで発表した。タイトルは「延期」となっているが、時期からして中止と思われる。

 同日、UWW役員会がオンラインで行われ、新型コロナウィルスのパンデミック(世界的流行)が続いているため、前記の2大会を含めて9月と10月に予定されている大会を中止することを決めた。

 ネナド・ラロビッチ会長は「パンデミックに対する世界的な対応を引き続き監視していく。私たちはアスリートの安全と健康を守る責任を持っている。選手が闘うことができる状況になったら、闘いに戻ります」とコメントした。

 11月にフィンランドで予定されているU23世界選手権と、12月にセルビアで予定されているジュニアとシニアの世界選手権については論議されなかったもよう。次回の役員会は9月に予定され、大会開催についてさらに論議し、次のステップに移るとしている。

【担当記者が見たレスリング(14)】マイナーからメジャーへ変貌! 選手はもっと主張していい…山口大介(日本経済新聞)

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(文=日本経済新聞・山口大介)

2002年6月の全日本選抜選手権(当時は男子のみの大会)。マットステージはなく、ひな壇席もなく、役員席はフロアにテーブルだった

 初めてレスリングを取材した日のことは、今も鮮明に覚えている。2002年6月14日、全日本選抜選手権最終日。会場の東京・代々木競技場第2体育館は、あるアナウンスに湧き上がった。

 「サッカー日本代表が、チュニジアに2-0で勝ちました!」

 この時、日本列島は2週間前に開幕した日韓ワールドカップ一色に染まっていた。しかも、この日は1次リーグ最終戦。初の決勝トーナメント進出が懸かる日本戦の行方は、サッカーファンのみならず、国民的関心事だった。とはいえ、違う競技の結果を場内アナウンスで知った記憶は、後にも先にもこの1度きりだ。牧歌的というか、いかにも人肌を感じるレスリングらしい思い出である。

 記者席は寂しかった。記憶する限りでは自分を含めて3人。もう1、2人いたかもしれないが、この年の世界選手権とアジア大会の代表が決まる試合にしては少な過ぎた。サッカー日本戦とぶつかったせいもあったに違いないが、それだけが理由でもなかっただろう。

 2年後のアテネ・オリンピックで女子が種目に採用されることが決まっていたが、吉田沙保里選手や伊調馨選手が世界選手権にデビューする前のことだ。男子は1988年ソウル・オリンピックを最後に世界一から遠ざかっていた。レスリングに対する世間の関心はまだまだ低かった。

取材を歓迎してくれ、4時間にも及んだアニマル浜口さん取材

 もっとも、そんなマイナー感がスポーツ記者になったばかりの当時の自分を駆り立ててもくれた。プロ野球やサッカーに自分の出番はなく、記事が書けそうな競技を探し歩いていた。長い歴史と栄光を誇る日本レスリング界には失礼な言い方になるが、踏み荒らされていない感じがしたのだ。

人当たりのよさと、ていねいな対応に、取材した記者はだれもがファンになるアニマル浜口さん

 実際に足を踏み入れたレスリングの世界は、記者にとって予想以上に魅力的なフィールドだった。とにかく関係者の皆さんが取材を歓迎し、暖かく接してくれた印象が強い。

 例えば、アニマル浜口さん。アテネ・オリンピック前、妻の初枝さんの実家である浅草の小料理屋で、カウンターを挟んでの取材は延々4時間にも及んだ。娘・京子選手の話はいつしか自身の生い立ちへ。

 父が商売に失敗して一家離散し、親せきや兄弟を頼って転々とした苦しい記憶をたどりながら、「だから、自分が父になったら、子どもの心に灯をともしてやるのが務めだと心に決めていたんだ」という言葉は、胸にストンと落ちた。すでに知らない人のいない有名人でありながら、気さくで、ていねいな対応にとても感激した。

 取材の機会は、試合や合宿にとどまらず、懇親会のような場もたくさん設けられた。北京オリンピック・イヤー(2008年)の元日は恒例の年越し合宿。お台場の海に飛び込んだ選手と一緒に入った風呂で、湯気の向こうに見たギリシャ彫刻のような肉体は忘れられない。

取材のハードルは上がったが、メジャーになった証し

2008年元旦、台場での寒中水泳のあと、報道陣も大江戸温泉で入浴。その後、正月を楽しんだ

 担当記者として選手や現場を追いかけたのは2010年全日本選手権まで。最後の頃は、大会や合宿に行くと、いつも記者で膨れ上がっていた。取材のハードルは少しずつ上がり、かつてのように気軽にコンタクトを取れることは少なくなったが、それはレスリングが人気を得た証し。選手の待遇や環境が向上するのは素晴らしいことだ。

 担当を離れた後、2012年ロンドン・オリンピックで米満達弘選手が金メダルを取り、その後も文田健一郎選手や乙黒拓斗選手が世界チャンピオンに輝いた。国際大会では男子の記事を書く機会になかなか恵まれなかった身としては、隔世の感がある。

 女子も当時から「吉田、伊調がいなくなった後が心配」という声が囁かれていたが、しっかり後に続く選手が出てきている。

選手の声に耳を傾け、魅力あるレスリングを育ててほしい

 そんな選手たちの頼もしさの半面、レスリングという競技自体はまだまだ魅力を生かしきれていない気もする。取材していた頃、一番苦労したのがコロコロ変わるルールを覚えることだった。

今年5月、SNSで盛り上がり、デイリー・スポーツが報じたシングレット問題《pdfファイル》

 外野の人間からしても「これで選手は納得いくだろうか」と思うようなルールがあった。0-0で同点の場合はくじびき抽選で攻撃権が決まった。あの当時に比べてルールはかなり改定されが、この競技ならではのスケールの大きさ、ダイナミックさが伝わっているだろうか。

 その意味では、最近のシングレットに関する議論は久々にレスリングの話題で関心を持ったものだ。伝統を否定するつもりはないが、もっと格好いいユニホームがあるのではないかと昔から思っていた。しかも、意見が選手から広がっているのがいい。

 実は、自分が取材していた頃、選手たちから協会や競技への提言・意見はほとんど聞いたことがなかった。色々な経験を経て、レスリング界も変わりつつあるようだ。最も競技を愛しているはずの彼ら、彼女らの声に耳を傾け、魅力あるレスリングを育て続けてほしい。

山口大介(やまぐち・だいすけ)1973年生まれ。神奈川県で育つ。1997年、日本経済新聞社入社。柔道、陸上、体操、卓球などオリンピック競技を主に取材し、夏季オリンピックは2004年アテネ大会から2016年リオデジャネイロ大会まで4大会取材。レスリングはアテネ、北京大会を取材した。現在は運動部デスクで東京オリンピック・パラリンピックを主に担当。

担当記者が見たレスリング

■8月1日:今はオンライン取材だが、いつの日か発信力を取り戻してほしい…牧慈(サンケイスポーツ)
■7月25日:IOCに「認められる」のではなく、「認めさせる」の姿勢と誇りを…森田景史(産経新聞)
■7月19日:弱さを露わにした吉田沙保里、素直な感情と言葉の宝庫だったレスリング界…首藤昌史(スポーツニッポン)
■7月11日:敗者の気持ちを知り、一回り大きくなった吉田沙保里…高橋広史(中日新聞)
■7月4日: “人と向き合う”からこそ感じられた取材空間、選手との距離を縮めた…菅家大輔(日刊スポーツ・元記者)
■6月27日: パリは燃えているか? 歓喜のアニマル浜口さんが夜空に絶叫した夜…高木圭介(元東京スポーツ)
■6月20日: 父と娘の感動の肩車! 朝刊スポーツ4紙の一面を飾った名シーンの裏側…高木圭介(元東京スポーツ)
■6月13日: レスリングは「奇抜さ」の宝庫、他競技では見られない発想を…渡辺学(東京スポーツ)
■6月5日: レスラーの強さは「フィジカル」と「負けず嫌い」、もっと冒険していい…森本任(共同通信)
■5月30日: 減量より筋力アップ! 格闘技の本質は“強さの追求”だ…波多江航(読売新聞)
■5月23日: 男子復活に必要なものは、1988年ソウル大会の“あの熱さ”…久浦真一(スポーツ報知)
■5月16日: 語学を勉強し、人脈をつくり、国際感覚のある人材の育成を期待…柴田真宏(元朝日新聞)
■5月9日: もっと増やせないか、「フォール勝ち」…粟野仁雄(ジャーナリスト)
■5月2日: 閉会式で見たい、困難を乗り越えた選手の満面の笑みを!…矢内由美子(フリーライター)

8月12日(水)にアジア連盟のオンライン表彰式…日本から太田忍(ALSOK)と笹山秀雄・女子強化委員長(自衛隊)が受賞

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 アジア・レスリング連盟は、2019年のベストレスラー、ベストコーチ(以上3スタイル)、ベスト加盟国の表彰式を8月12日(水)午後4時(日本時間)からオンラインで実施し、インスタグラムで中継することを発表した。

《アジア連盟・インスタグラム》 ※8月12日午後4時(日本時間)

アジア連盟選出の男子グレコローマン2019年レスラー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた太田忍(ALSOK)

 日本からは、男子グレコローマンのベストレスラーに63kg級世界チャンピオンの太田忍(ALSOK)、女子のベストコーチにアジア選手権、世界選手権とも国別対抗得点で優勝に導いた笹山秀雄・女子強化委員長(自衛隊)が選出されている。

 この賞は、アジアの団結と発展のため制定され、今回が第1回。本来なら6月にキルギスで行われる予定だったアジア・ジュニア選手権の最中に表彰式を行う予定だったが、新型コロナウィルスのパンデミック(世界的流行)のため大会がなくなり、代替で実施できる大会もないため、オンラインで実施されることになった。

 太田は昨年、世界選手権優勝のほか、3度のランキング・シリーズで優勝2度、2位1度と大舞台で結果を出しており、世界レスリング連盟(UWW)の「レスラー・オブ・ザ・イヤー」でも男子グレコローマンの2位に選ばれている。

 表彰選手・加盟国は下記の通り。


2019年ベストレスラー

【男子フリースタイル】ヌルコザ・カイパノフ(カザフスタン=70kg級、アジア選手権優勝、世界選手権2位)
【男子グレコローマン】太田忍(日本=63kg級、世界選手権優勝)
【女子】ロン・ニンニン=栄寧寧(中国=57kg級、アジア選手権優勝、世界選手権2位)


2019年ベストコーチ

【男子フリースタイル】ゴラムレザ・モハマディ(イラン=世界選手権で「金1」、アジア選手権で「金7・銅3」
【男子グレコローマン】モハメド・バナ(イラン=世界選手権で「銅3」、アジア選手権で「金4・銅3」)
【女子】笹山秀雄(日本=世界選手権とアジア選手権で国別対抗得点優勝)


2019年最優秀加盟国

カザフスタン=ハイレベルな世界選手権とアジア・カデット選手権を開催

2021年三重国体レスリング競技の日程と会場を変更…三密を避けるための措置

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 来年秋に行われる「三重ことわか国体」の実行委員会は、8月4日に行われた総会で国体レスリング競技の日程と会場の変更を決議し、津市長が定例記者会見で発表したとともに、ホームページで公示した。

 当初は9月26日(日)~29日(水)に津市・メッセウィングみえで行う予定だったが、国体会期前の9月11日(土)~14日(火)に津市・サオリーナで行うこととした。

三重国体レスリング競技が行われることになったサオリーナ

 当初の期間中は、同じ敷地内のサオリーナでバスケットボールが行われる予定だった。2競技が固まることで選手・スタッフ・観客が多くなり、「密」の状態になることを解消するための措置。

 会期は9月25日の開会式前になるが、総会議事録では「広いサオリーナで開催することで、控所・観覧席等の既存施設の使用が可能となり、現状と比較して選手監督、観覧客、競技役員等すべてにおいて3つ密を防ぐ効果が期待できるため」と説明している。

 吉田沙保里さんの名前にちなんで名称がつけられた同会場は、2018年4月のジュニアクイーンズカップが開催されている。

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