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【インタビュー動画】オリンピック2階級制覇を目指すアブデュラシド・サデュラエフ(ロシア)=UWWサイトより(日本語字幕付き)

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レスリングへの思いを語るアブデュラシド・サデュラエフ(ロシア)=UWW動画サイトより

 世界レスリング連盟(UWW)は先週、来年の東京オリンピックで2階級制覇を目指すアブデュラシド・サデュラエフ(ロシア)のインタビュー動画を掲載した(日本語の字幕で視聴可=動画右下の「設定」を左クリックし、字幕を「オン」にして「日本語」を選択)。

 ロシアの英雄アレクサンダー・カレリン、ブバイサ・サイキエフに続くオリンピック3度優勝への思いや、世界のトップを維持する秘訣、92kg級世界王者ジェーデン・コックスとの対戦への思い、レスリングの発展へ向けての思いなどを聞いている。

 サデュラエフは2014年に「18歳4ヶ月」で世界選手権86kg級を制覇。2015年も世界一となり、2016年リオデジャネイロ・オリンピックでも優勝。2017年に97kg級に上げ、この年の世界選手権はオリンピック王者のカイル・スナイダー(米国)に破れて2位だったが、翌年リベンジして優勝。昨年も勝ち、2階級にわたって5度の世界一へ。現在、世界で最も輝いているレスラーと言っていい。


JOCアスリート委員会が呼びかけ…「#いまスポーツにできること」プロジェクトに参加しよう

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 日本オリンピック委員会(JOC)アスリート委員会は4月15日、全競技のアスリートに対し、、SNSを通じて、スポーツ界全体から社会に対してのメッセージ発信を呼びかけた。

【実施目的】日頃応援を受けているスポーツ界全体から、感染拡大防止に取り組むすべての方にSNSで応援を届ける

【実施概要】アスリート各自のSNSから、一斉に新型コロナウイルス感染拡大防止に向けたメッセージを発信

 すでに精力的にメッセージ発信に取り組んでいる団体・選手も存在するが、スポーツ界全体として同じタイミングでメッセージを発信していこうという内容です。未曽有の危機に際し、社会全体で乗り越えるべく各選手のご協力をお願いします。

《JOCアスリート委員会からのメッセージ・投稿のお願い》


【JOCアスリート委員会からアスリートのみなさんへのメッセージ】

 「現在、いつものトレーニングはもちろんのこと外出すら自由にできないこの状況に身を置かれ、スポーツは平和で安心な社会 の上で成り立つことを改めて思い知らされました。多くのアスリートは、一刻も早く日常のトレーニングに戻りたいことと思 います。そのためにも、今は社会の一員として感染拡大防止のために協力することが必要です。

 いまスポーツにできること。それは夏季冬季、あらゆる競技の垣根を越えて、家の中でとどまってくれている多くの人たちの 心身の健康を守る小さな後押しをすること、社会にポジティブなメッセージを発信すること、そして感染拡大防止に命がけで 取り組む多くの方々にエールを送ることであると思います。

 スポーツには力があります。日頃多くの方から応援を受けているアスリートみんなで、今は社会にその力を届けましょう。

 JOCアスリート委員会では今できることとして、すでに行われているSNS施策をより多くのアスリートに拡散してスポーツ界 全体で協力したいと考えました。すでに取り組んでいる方もいらっしゃると思いますが、改めてスポーツ界全体で取り組む ことで、社会に大きなインパクトを与えられるものだと思います。もちろん、それぞれが抱える事情がありますので、可能な 方だけ、できる範囲で結構です。競技の垣根を越えて、スポーツ界の一員として、我々トップアスリートがいまできることに 一緒に取り組んでみませんか。

 そしてこの困難を乗り越えた暁には、それぞれのフィールドで、最高のパフォーマンスで多くの方を魅了しましょう。」

【アスリートの皆さまへのお願い事項】

各自のSNSから、メッセージ投稿をお願いいたします(日本時間4/17 昼13時以降)

※投稿は強制するものではありません。投稿に際しては、事前に所属企業等に確認ください。

※4/17~5/6まで実施予定ですが、多くの方に届くよう、できる限り4/17中(昼13時以降)に第1回目の投稿をお願いします。

※万が一4/17に大きな事故・事件等がある場合は投稿を延期します。予定通りの場合、4/17昼12時にJOCアスリート委員が投稿 しますので、お手数ですがJOC公式SNS(ツイッター)でご確認の上、投稿をお願いいたします。

https://twitter.com/Japan_Olympic @Japan_Olympic

▼投稿テーマは下記3つから選択してください(※投稿案は次ページ以降参照)

①Stayhealthy:家でも楽しめるトレーニング、食事(栄養)、リフレッシュ、競技雑学など、自分の得意内容を投稿

②Thanks:日頃応援を受けているスポーツ界から、最前線の医療関係者をはじめ、多くの方々に感謝&応援メッセージ

③Stayhome:感染拡大防止のために、「外出しないこと、三密を避けること、手洗いうがい」を呼びかけるメッセージ

▼ハッシュタグ 「#いまスポーツにできること」「#SportsAssistYou」「#Staystrong」「#Stayhome」

《参考投稿》
https://twitter.com/terasu114/status/1246032882948161536

https://twitter.com/V7Jqq/status/1247796176998428678

2020年UWW「女性とスポーツ賞」にテレサ・マヨ氏(スペイン)

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 世界レスリング連盟(UWW)は4月16日、2020年の「女性とスポーツ賞」にスペインの元レスリング選手で “草の根活動家”のテレサ・マヨ氏を選出し、発表した。

 マヨ氏は2001~03年に世界の舞台で活躍した選手。現在はスペイン・レスリング協会の開発部門で活動し、学術的なプログラムの開発と幼少の選手が国際選手に育つまでの一貫強化体制の構築に尽力。女子レスリングの発展を通じて協会内の男女平等を促進することに力を入れている。

 その活動はスペイン政府からも認められており、「女性とスポーツ」賞も受賞している。

 「この賞を与えてくれたレスリング・コミュニティーに本当に感謝しています。これからも、私がスペインで始めた女子レスリングに力を与え、改善に大きく貢献することをお約束します」とコメントした。

UWW「女性とスポーツ」賞を受賞したテレサ・マヨ氏(スペイン)=提供・UWW

5.28~31明治杯全日本選抜選手権(5.10予選会含む)は中止/参加料返金のご案内

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 5月10日(日)に東京・味の素トレーニングセンターで予定されていた明治杯全日本選抜選手権・予選会と、同28日(木)~31日(日)に東京・駒沢体育館で予定されていた明治杯全日本選抜選手権は、新型コロナウイルス感染拡大の重大局面を迎えたことにより、中止することになった。

 振り込まれた参加料は返金する。(下記pdfファイル参照)

《中止のお知らせ/返金のご案内》


令和2年4月17日

選手・関係者 各位

公益財団法人日本レスリング協会
実 行 委 員 会

「明治杯」
令和2年度全日本選抜レスリング選手権大会「中止」のお知らせ

 平素より、本協会の諸事業につきましては、格別なるご高配を賜り厚く御礼申し上げます。

 さて、新型コロナウイルス感染拡大の重大局面を向かえ、本年4月7日(火)に7都府県に「緊急事態宣言」が発令されました。このような状況の下、本協会は、5月初めの予選会を含め、5月下旬に開催する標記大会を「中止」することとなりましたので、お知らせいたします。

 皆様のご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。

(大会中止)

■大会名:「明治杯」令和2年度全日本選抜レスリング選手権大会
(1)予選会:令和2年5月10日(日)
    場 所:味の素ナショナルトレーニングセンター(レスリング道場)

(2)本 戦:令和2年5月28日(木)~5月31日(日)
    場 所:駒沢体育館

(3)予選会等の参加料については返金いたします。
   なお、詳細(参加料の返金)については、添付資料をご覧ください。


 

【記録】日本はソ連・米国に次いで3位、3スタイル同時優勝はロシアのみ…オリンピック・国別通算メダル獲得数(3スタイル合計)

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2012年ロンドン大会で優勝したナタリア・ボロビエワ。同大会、ロシアは3スタイルで優勝選手を輩出した=撮影・矢吹建夫

 2004年アテネ大会から女子が加わり、男子フリースタイル、男子グレコローマンとともにオリンピック・レスリングの“運命共同体”となった3スタイル。男子のみが行われていた時代からの金メダルの合計は、戦後からの参加だったが男子両スタイルで強さを誇っていたソ連が「62個」で1位、戦前から参加していて男子フリースタイルで強さを誇っていた米国が「54個」で続く。

 3位は、女子で圧倒的な強さを持つ日本が「32個」で続いている。歴史的に見て日本が“レスリング大国”であることは間違いない。しばらくの間は女子を中心に上乗せできるだろうが、1996年アトランタ大会から参加のロシアが「30個」で急迫している。男子の奮戦がなければ、3位の座を譲ってしまうことになるだろう。

 3スタイルに渡って金メダルを取っているのは、日本のほかは、米国、ロシア、ウクライナの4ヶ国。ひとつの大会で3スタイルのチャンピオンを輩出したのは2012年ロンドン大会におけるロシアのみで、3スタイル均等に強豪を育成するのは至難の業のようだ。地元オリンピックで日本も続きたいところ。

 これまで男子両スタイルで金メダルを取っていて、現勢力からして来年の東京オリンピックで女子が加わる可能性がある国は、トルコ(女子76kg級で可能性あり)、スウェーデン(女子53・68kg級)、ブルガリア(女子57・62kg級)、アゼルバイジャン(女子50kg級)など。

 3スタイルの国別メダル獲得数は、下記の通り。

世界アンチ・ドーピング機関(WADA)は現在、ドーピング検査での検体を10年間保存し、最新技術で分析して過去の違反者を摘発しています。2016年リオデジャネイロ大会後でも、2008年北京大会金メダリストのメダル剥奪が正式に決まり、同級の順位が変動しています。下記は2020年3月現在の記録で、今後のドーピング違反摘発によっては、数字が変わります。

オリンピック・国別通算メダル獲得数(3スタイル合計)

※2020年3月現在

No. 国  名
1 ソ  連 62 31 23
2 米  国 54 43 35
3 日  本 32 21 16
4 ロシア 30 14 15
5 トルコ 29 18 16
6 スウェーデン 28 27 31
7 フィンランド 27 28 30
8 ハンガリー 19 16 20
9 ブルガリア 16 32 21
10 韓  国 11 11 14
11 イラン 9 14 20
12 キューバ 9 6 9
13 ルーマニア 7 8 19
14 イタリア 7 4 10
15 EUN 6 5 5
16 ポーランド 5 9 12
17 エストニア(旧) 5 1 4
18 アゼルバイジャン 4 7 11
19 ユーゴスラビア 4 6 6
20 フランス 4 4 10
21 スイス 4 4 6
22 ドイツ(旧) 3 8 6
23 カナダ 3 7 7
24 ジョージア 3 5 10
25 ウクライナ 3 5 6
26 英  国 3 4 10
27 ギリシャ 3 3 7
28 北朝鮮 3 2 5
29 ウズベキスタン 3 2 3
30 中  国 2 3 6
31 アルメニア 2 3 3
32 エジプト 2 3 2
33 ノルウェー 2 2 2
34 西ドイツ 1 8 6
35 チェコスロバキア 1 7 7
36 カザフスタン 1 5 9
37 デンマーク 1 4 7
38 ドイツ(新) 1 4 3
東ドイツ 1 4 3
40 オーストリア 1 2 2
41 セルビア 1    
42 ベラルーシ   5 6
43 モンゴル   4 5
44 ベルギー   3 1
45 インド   1 4
46 オーストラリア   1 2
キルギス   1 2
レバノン   1 2
49 リトアニア   1 1
50 エストニア(新)   1  
シリア   1  
スロバキア   1  
タジキスタン   1  
プエルトリコ   1  
メキシコ   1  
ラトビア   1  
57 コロンビア     2
58 スペイン     1
チュニジア     1
チェコ     1
パキスタン     1
マケドニア     1
モルドバ     1
合   計 412 414 468

【特集】レスリングにピリオドを打ち、子供の頃からの夢に挑むU23世界王者・中村倫也(専大OB)

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(文=布施鋼治)

 2016・17年に2年連続全日本選抜選手権で優勝(57kg級と61kg級)。その後、男子フリースタイル65㎏級で活躍した中村倫也(埼玉・花咲徳栄高~専大~博報堂DYスポーツ=3月まで)が、4月1日付けでSNSを通じMMA(ミックストマーシャルアーツ=総合格闘技)への転向を表明した。

【報告】20年続けてきたレスリングを引退しました。生き物としてより強くなる事を毎日考え続けて、気付いたら全日本や世界で優勝したり、想像もつかなかった景色を見ることができました。今後は物心付いてからの夢、総合格闘技の舞台で大暴れする為、より一層死に物狂いで努力します。(原文まま)

2017年U23世界選手権61kg級で優勝した中村倫也(当時博報堂DYスポーツ)=撮影・矢吹建夫

 2017年にはU23世界選手権(ポーランド)61kg級でも優勝している“世界チャンピオン”。反響は大きく、MMAを扱うウェブサイトはこぞってこのニュースを伝えた。

 中村は埼玉県出身。父・晃三氏は日本で総合格闘技の礎となったジム「PUREBRED大宮」のオーナーで、日本で初めてヒクソン・グレイシーを招聘してバーリトゥード(MMAの原型)を行った「バーリトゥード・ジャパンオープン」の開催に尽力した人物として知られている。

 広大なマットスペースがあったPUREBRED大宮は中村にとって格好の遊び場だったという。「(朝日昇など)当時現役だったプロの総合格闘家の皆さんが遊んでくれました。レスリングをやるきっかけを作ってくれたのは、山本美憂先生。僕が『キッズレスリングをやりたい』とお願いしたらしい。たまにノリさん(山本”KID”徳郁)も教えてくれました」

初出場の2017年世界選手権61kg級では5位

 高校時代に開発した独特のアンクルホールドは”リンクル(ホールド)”と命名され、オリンピック連覇を狙う川井梨紗子(ジャパンビバレッジ)にも伝授されたことで、さらに知名度を高めた。

 レスリング時代、最も思い出に残っているのは、2017年世界選手権(フランス)の男子フリースタイル61㎏級に出場したことだと振り返る。「出場する前は、世界のシニアのレベルが全く分からなかったので、正直なめていた部分もありましたね」

2017年世界選手権61kg級2回戦で2014・15年世界王者ハジ・アリエフ(アゼルバイジャン)と闘う中村

 この時は1回戦こそモルドバの選手に7-3で快勝したものの、続く2回戦で2014・15年世界王者のハジ・アリエフ(アゼルバイジャン)に1-10で敗北を喫し、運よく敗者復活戦へ。結局、3位決定戦で2016年リオデジャネイロ・オリンピック57kg級5位のヨウリス・ボネロドリゲス(キューバ)にフォール負けを喫し5位に終わった。

 「アリエフ戦でけがしてしまい、片目が見えない状態で闘わなければならなかった。敗者復活戦は相手との実力差があったので勝ち上がることができたけど、その一方で、自分はまだまだ練習不足であることを実感しました」

 東京オリンピック出場を目指して挑んだ昨年の全日本選手権は、オリンピック階級である男子フリースタイル65㎏級にエントリー。順当に勝ち進んだが、決勝では日本男子史上最年少で2018年世界選手権を制した乙黒拓斗(山梨学院大)に0-10のテクニカルフォール負け。オリンピック出場の夢は断たれた。

 「乙黒選手の右手の攻撃を警戒しながら攻めていく中で左に意識を散らされ、右手を出してしまったところで取られてしまった。向こうの作戦にまんまとはまった気がします」

目標は世界最大のMMA団体「UFC」のチャンピオン

 この一戦で中村はレスリング生活にピリオドを打つことを決心。今年2月から本格的なMMAの練習を始めた。MMAをやることは物心ついた時から公言していたことだけに、中村の周囲には応援ムードが漂う。

打撃練習で顔にアザをつくった中村=撮影・布施鋼治

 「昔から変わらない夢ですからね。昔は反対していた母(恵子さん)も、『ケガさえしなければ』といまは応援してくれます」

 専大の恩師・佐藤満ヘッドコーチは力のこもったアドバイスを送る。「打撃や寝技も大事だけど、絶対にレスリングのことを忘れるな。格闘技の中で一番きついのはレスリング。いまのMMAを見ても、フィジカルはレスリング出身者がずば抜けている。中村はスタミナで勝ってきた選手なんだから、レスリングの練習は続けなさい」

 新型コロナウイルスの影響で対人練習もままならない状況が続くが、中村は自主トレを中心に黙々と汗を流す。世界最大のMMAプロモーション「UFC」でチャンピオンになる夢に向かって、中村は当面の課題となる打撃と寝技に取り組む。

 所属先やデビュー戦の舞台などの交渉は全てこれからながら、活動資金確保のため寄付を通じてアスリートを支援するスポーツギフティングサービス「unlim」に登録したという。「死に物狂いで努力します」

 今回の取材は転向宣言直後に行われた。某ジムでの打撃練習後だったが、中村の右目下には打撃練習の壮絶さを物語るかのように大きなアザができていた。

UWWが中国協会などの支援のもと、イタリアなどに医療用マスクを寄付

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イタリアなどに届けられた医療用マスク=提供・UWW

 世界レスリング連盟(UWW)は4月17日、中国協会やUWW公認マットを制作している中国の「Taisan」などの支援のもと、新型コロナウイルスの拡大と闘っている数ヶ国に医療用マスクを届けたことを報じた。

 中国協会がUWWとコンタクトをとり、困っている国への支援を申し出て実現。まず、死者が2万3000人近くに達し、17万人の感染者が出たイタリアに寄付したという。このあと、アルゼンチン、モロッコ、エクアドル、フィンランド、ナイジェリアに届けられるという。

 UWWのネナド・ラロビッチ会長は「私たちは、レスリングファミリーのメンバーを保護し、サポートするため、できる限りのことをしています。この闘いはしばらく続きますが、レスラーが挑戦から後退することは決してないことを、私たちは皆知っています。私たちはコミュニティをサポートするためにここにいます」とコメントした。

【記録】ウィルフリード・デードリッヒ(西ドイツ)がメダル5個獲得…オリンピック・メダル獲得ランキング(男子両スタイル通算)

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 最近はあまりいなくなったが、オリンピックの男子両スタイルに出場し、ともにメダルを手にしている選手もいる。男子両スタイルでメダルを取った選手を含めたメダル獲得ランキング(金メダル中心と全メダル)は下記の通り。

 3度優勝は、男子フリースタイルでは2選手(関連記事)、男子グレコローマンでは3選手(関連記事)がいるが、他にイバ-・ヨハンソン(スウェーデン)が1932年ロサンゼルス大会の両スタイルと1936年ベルリン大会のグレコローマンで優勝しているので、6選手が金3個を獲得している。

 この中で4連覇に挑んだのは、アレクサンダー・カレリンのみ。2000年シドニー大会では、準決勝までの4試合を無失点で勝ち上がりながら、決勝ではルーロン・ガードナー(米国)に0-1(当時の3点ノルマ制のルールで9分間)で敗れ、「金3・銀1」に終わった。

 メダル獲得数となると、ウィルフリード・デードリッヒ(西ドイツ)が、1956・60・64年大会でフリースタイルの1度優勝を含めて「金1・銀2・銅2」の5個を獲得。通算5個のメダル獲得は唯一となる。4個獲得は、ルドルフ・スベンソン(スウェーデン)が1924・28・32年大会の両スタイルにわたって「金2・銀2」を獲得しているのを含め、計5選手が達成している。

 両スタイルにわたるメダル獲得ランキングは下記の通り。

世界アンチ・ドーピング機関(WADA)は現在、ドーピング検査での検体を10年間保存し、最新技術で分析して過去の違反者を摘発しています。2016年リオデジャネイロ大会後でも、2008年北京大会金メダリストのメダル剥奪が正式に決まり、同級の順位が変動しています。下記は2020年3月現在の記録で、今後のドーピング違反摘発によっては、数字が変わります。

オリンピック・メダル獲得ランキング(男子両スタイル通算)

※FS=フリースタイル、GR=グレコローマン。同順位内では、ABCD順

No. 選  手  名 国  名 年 ・ 階 級
1 Kareline, Alexandre ロシアほか 3 1   1988・92・96年(GR130金)、
2000年(GR130銀)
2 Johansson, Ivar スウェーデン 3     1932年(GR79金・FS72金)、
1936年(GR79金)
Lopez Nunez, Mijain キューバ 3     2008・12・16年(GR130金)
Medved, Alexander ソ  連 3     1964年(FS97金)、1968年(FS+97金)、
1972年(FS+100金)
Saitiev, Bouvaisa ロシア 3     1996・2004・08年(FS74金)
Westergren, Carl Oscar スウェーデン 3     1920年(GR75金)、1924年(GR82.5金)、
1932年(GR+87金)
7 Svensson, Rudolf スウェーデン 2 2   1924年(GR82.5銀・FS87銀)、
1928年(GR+82.5金)、1932年(GR87金)
8 Baumgartner, Bruce 米  国 2 1 1 1984年(+100金)、1988年(FS130銀)、
1992年(FS130金)、1996年(FS130銅)
9 Chadarzev, Makharbek ソ連ほか 2 1   1988・92年(FS90金)、1996年(FS90銀)
Maenza, Vincenzo イタリア 2 1   1984・88年(GR48金)・92年(GR48銀)
Pihlajamaeki, Kustaa フィンランド 2 1   1924年(FS56金)、28年(FS61銀)、
36年(FS61金)
Taimazov, Artur ウズベキスタン 2 1   2000年(WW130銀)、04・12年(WW120金)
13 Nazarian, Armen ブルガリアほか 2   1 1996年(GR52金)、2000年(GR58金)、
2004年(GR60銅)

オリンピック・メダル獲得ランキング(男子両スタイル通算=メダル数)

※FS=フリースタイル、GR=グレコローマン。同順位内では、ABCD順

No. 選  手  名 国  名 年 ・ 階 級
1 Dietrich, Wilfried 西ドイツ 5 1 2 2 1956年(GR+87銀)、
60年(GR+87銀・FS+87金)、
64年(GR+97銅)、68年(FS+97銅)
2 Kareline, Alexandre ロシアほか 4 3 1   1988・92・96年(GR130金)、
2000年(GR130銀)
Svensson, Rudolf スウェーデン 4 2 2   1924年(GR82.5銀・FS87銀)、
28年(GR+82.5金)、32年(GR87金)
Baumgartner, Bruce 米  国 4 2 1 1 1984年(+100金)、1988年(FS130銀)、
1992年(FS130金)、1996年(FS130銅)
Polyak, Imre ハンガリー 4 1 3   1952・56・60年(GR62銀)、
1964年(GR63金)
Leino, Eino Augusti フィンランド 4 1 1 2 1920年(FS75金)、24年(FS72銀)
28年(FS66銅)、32年(FS72銅)

【記録】オリンピック・男子両スタイルでメダルを取った選手

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1932年に両スタイルで金メダルを取ったイバ-・ヨハンソン(スウェーデン)

 戦前は、オリンピックの男子両スタイルに出場する選手は、さほど珍しいことではなく、両スタイルでメダルを取る選手もいた。戦後の5選手を合わせ、15選手が両スタイルでメダルを手にしている。

 その中で、両スタイルで金メダルを取ったのは3選手。カーロ・ヨハン・ヤルマリ・アンチラ(フィンランド)が1920年アントワープ大会のフリースタイル67.5kg級で、1924年パリ大会のグレコローマン62kg級で金メダルを取った。

 1932年ロサンゼルス大会では、イバ-・ヨハンソン(スウェーデン)がグレコローマン72kg級とフリースタイル79kg級でW金メダルを獲得。1936年ベルリン大会ではクリスチャン・パルサル(エストニア)が、両スタイルの+87.5kg級でW金メダルを手にした。

 3選手に共通するのは、“専門”はグレコローマンの選手だったこと。アンチラは世界選手権のグレコローマンで2度優勝、ヨハンソンは欧州選手権グレコローマンを7度制覇し、パルサルも欧州選手権グレコローマンに2度出場し、1度制している。

 「両スタイル通算のメダル獲得ランキング」(クリック)でも紹介したが、ウィルフリード・デードリッヒ(西ドイツ)は、両スタイルで5個のメダルを取った。世界選手権でも両スタイル均等に出ているので、本当の“両刀使い”だった。メダルは手にできなかったが、1964年東京大会のフリースタイル、1972年ミュンヘン大会の両スタイルにも出場しており、5大会連続で合計8回、オリンピックのマットに立っている。

2016年リオデジャネイロ大会で両スタイル・メダルの可能性が高まったバイラル・マコフ(ロシア)だが…=2015年世界選手権(撮影・矢吹建夫)

 最近は、以前とは比べものにならないほど技が高度化し、各国のレベルも上がっているので、両スタイルでの出場は見当たらない。2015年世界選手権でバイラル・マコフ(ロシア)が両スタイルの最重量級で銅メダルを獲得。翌年のリオデジャネイロ・オリンピックでは久しぶりの両スタイル・メダリストの期待も出てきたが、グレコローマンの国内予選で敗れ、フリースタイルのみの出場となり、初戦敗退に終わった。

 なお、日本選手で両スタイルの代表となったのは、1924年の内藤克俊、1972・76・80年の伊達治一郎(80年は不参加)、1968・72・76年の磯貝頼秀の3選手。内藤はフリースタイルで銅メダル、伊達もフリースタイルで金メダルを取ったが、両スタイルでのメダル獲得はならなかった。

 両スタイルでのメダル獲得選手は下記の通り。


オリンピック・男子両スタイルでのメダル獲得選手

No. 選  手  名 国  名 年 ・ 階 級
1 Johansson, Ivar スウェーデン 3     1932年(GR79金・FS72金)、1936年(GR79金)
2 Svensson, Rudolf スウェーデン 2 2   1924年(GR82.5銀・FS87銀)、
1928年(GR+82.5金)、1932年(GR87金)
3 Anttila, Kaarlo Johan Jalmari フィンランド 2     1920年(FS67.5金)、1924年(GR62金)
Palusalu, Kristjan エストニア 2     1936年(FS+87金・GR+87金)
5 Dietrich, Wilfried 西ドイツ 1 2 2 1956年(GR+87銀)、60年(GR+87銀・FS+87金)、
1964年(GR+97銅)、1968年(FS+97銅)
6 Kirecci, Ahmet Mersinli トルコ 1   1 1936年(FS79銅)、1948年(GR+87金)
7 Ehrl, Wolfgang ドイツ(旧)   2   1932年(GR61銀)、1936年(GR66銀)
Robin, Daniel フランス   2   1968年(FS78銀・GR78銀)
9 Berlin, Per スウェーデン   1 1 1952年(FS銀)、1956年(GR73銅)
Karlsson, Jan スウェーデン   1 1 1972年(FS74銀・GR74銅)
Neo, August エストニア   1 1 1936年(FS87銀・GR87銅)
Nystroem, Hjalmar Eemil フィンランド   1 1 1928年(GR+82.5銀)、1936年(FS+87銅)
13 Bajko, Karoly ハンガリー     2 1968年(GR78銅)、1972年(FS90銅)
Hirschl, Nikolaus オーストリア     2 1932年(FS+87銅・GR+87銅)
Karlsson, Einar スウェーデン     2 1932年(FS61銅)、1936年(GR61銅)

6.27~28全日本社会人選手権(埼玉・富士見市)は中止

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 6月26-28日に埼玉県富士見市体育館で予定されていた第68回全日本社会人選手権大会は、新型コロナウイルス感染拡大の重大局面を迎えたことにより、中止することになった。

【オリンピック・思い出の写真集】アレクサンダー・カレリン(ロシア)、4連覇ならず…2000年シドニー大会

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(2000年9月27日、オーストラリア、シドニー)


2000年の時点でオリンピック3度優勝達成選手は2人のみ。ともに4度優勝には挑戦しなかった。
世界選手権9度と合わせて12度の世界一に輝いているアレクサンダー・カレリン(ロシア)が
レスリング人生の最後をかけ、レスリング界初のV4へ挑戦。満員の観客と報道陣が見守った。

だが、クリンチ(四つ組み)でクラッチを離したための1失点を取り戻せず、終了のブザー。
1987年以来続いていた国内外での白星街道が途切れ、歴史的快挙は消えた。

【2000年シドニー・オリンピック/男子グレコローマン130kg級決勝】
Gardner, Rulon(米国)○[1-0=9:00]●Kareline, Alexandre(ロシア)


オーストラリアのレスリング人気は、さほど高くはないが、
カレリン4連覇の偉業を目当てに、多くの観客と報道陣が詰めかけた。
マットサイドには国際オリンピック委員会(IOC)のアントニオ・サマランチ会長の姿が。


米国代表のルーロン・ガードナーと相対するカレリン。
1997年世界選手権での対戦では、6-0で勝利していた。


最初にカレリンズ・リフトのチャンスを得たカレリンだが、上げ切れなかった。
5ヶ月前の欧州選手権では、4試合で一度も上がらなかった。体力の衰えは明白だった。


第1ピリオド(3分間)は0-0。第2ピリオドへ向かうカレリンには、一瞬、だるそうな仕種があった。


当時のルールは、第1ピリオドを0-0で終わった場合、第2ピリオドは四つ組みで試合再開。
コイントスの結果、優先権を得たのはカレリン。有利な体勢でスタートしたが、攻めあぐみ、
一瞬クラッチを離して組み替える痛恨のミス(クラッチを離すと1失点)。


審判団のビデオチェックの間、腰を下ろしたカレリン。
相手に弱味を見せてしまうほど、スタミナを切らしていた。


クラッチを離してしまい、コーションで1点を先制され、グラウンドの防御を強いられた。
(シニアの国際舞台に出てから、リードを許したのは初めて)
ここで回されたら万事休す。必死に守り切った。


1点を追って攻めるカレリン。ガードナーは必死に防御。


パーテール・ポジションの好機をつかむも、
ローリングとリフト、ともに中途半端で決定力に欠けた。
このシーン、ブレークまでの時間は37秒もあった!


第2ピリオドも終了。今や懐かしい響きとなった3ポイント・ノルマ制
(3分×2ピリオドの試合時間を終了しても3点を取っていない場合、最大3分間の延長戦へ入る)
で延長戦へ突入。しかし、ガードナーをテークダウンすることができない。


相手の頭が落ちていないにもかかわらず、がぶりを仕掛けたカレリン。
焦っているのは明白だった。


ラスト3秒、終了のブザーを待たずに“試合放棄”。


4連覇の偉業達成ならず! ガードナーは満員の観客に勝利をアピール。


相手の健闘を称え、最後まで威厳を保っていたカレリンだが、
自コーナーへ戻る時は、がっくりとうなだれた。


マット上で歓喜するガードナーをチラリと見て、選手入場口へ向かうカレリン。
オリンピックの選手の順路は一方通行であり、本来は反対方向に行かなければならない。
歴史的黒星の前に、スタッフは誰一人として「反対だ」とは声をかけなかった。


マット上を駆け回るガードナーと、アリーナを去るカレリン。


IOCサマランチ会長から銀メダルを受け取るカレリン。


1位の場所に片足だけ乗せたのは、130kg級の選手3人では狭かったため?
それとも、負けてチャンピオンの場所に立ちたくなかったから?

【記録】“プロレスの神様”カール・ゴッチは1948年ロンドン大会の両スタイル出場選手

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1973年10月の新日本プロレス(蔵前国技館)でのタッグマッチで、アントニオ猪木と闘うカール・ゴッチ=撮影・山内猛

 日本のプロレス界に大きな影響を与えたのが、“プロレスの神様”と言われたカール・ゴッチ。1948年ロンドン・オリンピックの両スタイルに出場したオリンピアンだ。

 同時期に活躍していたダニー・ホッジが、1956年メルボルン・オリンピックの銀メダリスト、全米大学(NCAA)選手権3度優勝と確固たる記録が残っているのに対し、ゴッチの名は世界レスリング連盟(UWW)のデータベースにも載っておらず、懐疑的な声があったのも事実。

 1948年大会の詳細な記録を調べてみると、本名カール・イスタツは、ベルギー代表として、両スタイルの87kg級にしっかりと刻まれている。当時は6位までが入賞。UWWデータベースでは、当時の大会は下位選手の記録は掲載されていないために、ゴッチの名前がないだけの話だ。この時、23歳(大会期間中に24歳へ)。

 ゴッチは、先に行われたフリースタイルでは、1回戦と3回戦で敗れ(2回戦は試合なし)、バッドマーク「6」へ。規定によって、この時点で敗退となった(当時は、負けるとバッドマークという罰点がつき、6点になると失格)。3回戦終了時点で残っていたのは6選手いたため、あと1勝でもすれば入賞は果たせた。

 続いて行われたグレコローマンでも、2回戦でギリシャ選手を破っているが、1、3回戦で黒星を喫し、バッドマーク「7」へ。上位進出ならなかった。

 《フリースタイル成績》
1回戦 ●[0-3]Candas, Muharrem(トルコ)
2回戦  BYE
3回戦 ●[フォール、1:20]Stoeckli, Fritz(スイス)

 《グレコローマン成績》
1回戦 ●[フォール、3:54]Groendahl, Kelpo Olavi(フィンランド)
2回戦 ○[3-0]Kambaflis, Athanasios(ギリシャ)
3回戦 ●[フォール、4:01]Kovacs, Gyula(ハンガリー)

 ロンドン大会の2年後にプロレスに転向。レスリングの基礎をもって強さを発揮し、欧州でチャンピオンになるなどしたあと、1960年に米国へ。AWAの王者にもなったが、強さを求めるあまり、ショー的色彩が強くなったプロレスに馴染めず、スターと呼べる地位にはつけなかった。日本では、その技術を学んだ選手が多く、アントニオ猪木や藤波辰巳(現辰爾)、前田日明らゴッチの指導で強くなった選手は少なくない。

 2007年7月28日、82歳にして米国の自宅で死去。2017年には、門下生によって東京・荒川区に墓が建立された。

【記録】10代王者は2人、最年長は「40歳3ヶ月11日」…オリンピック・チャンピオン年少&年長記録(男子フリースタイル)

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1984年ロサンゼルス大会で、史上初の10代オリンピック・チャンピオンに輝いたサバン・トルステナ(ユーゴ)=本人のフェイスブックより

 198人いる男子フリースタイルのオリンピック・チャンピオンを、金メダル獲得時の年齢で並べてみると、1984年ロサンゼルス大会の52kg級で優勝したサバン・トルステナ(ユーゴ)の「19歳7ヶ月9日」が最年少。同年の欧州選手権では、前年世界王者のバレンチン・ヨルダノフ(ブルガリア)を破って優勝しており、その勢いでオリンピックも制した。この時点で男子グレコローマンに10代王者はいなかったので、オリンピック史上初の10代チャンピオンとなる。

 同オリンピックでは、復帰して2大会ぶりの金メダルを目指した高田裕司(現日本協会専務理事)を破り、4年後のソウル大会では決勝で佐藤満(現専大コーチ)に敗北。日本選手とは縁の深い選手でもある。

 10代のチャンピオンはもう一人いて、2012年ロンドン大会60kg級に出場したトグルル・アスガロフ(アゼルバイジャン)が「19歳10ヶ月25日」で制した。2010年は55kg級で2位、前年はジュニアの世界選手権60kg級で優勝し、オリンピック年の欧州選手権を制するなど、若くして躍進していた。ロンドン大会では3回戦で湯元健一が対戦。ピリオド制のルールで、0-1、2-2Bの僅差で敗れている。

 同選手は2016年リオデジャネイロ大会65kg級2位のあと、目立った活動はなかったが、地元のメディアは、東京オリンピックは74kg級で出場を目指すと伝えている。

 日本選手では、1956年メルボルン大会73kg級で勝った池田三男の「21歳1ヶ月17日」が最年少。リオデジャネイロ大会57kg級で決勝に進んだ樋口黎が勝っていたら、「20歳6ヶ月22日」で日本最年少、世界歴代5位の記録となっていた。

バレンチン・ヨルダノフ(ブルガリア)=2009年撮影

 年長については、1996年アトランタ大会52kg級優勝のバレンチン・ヨルダノフ(ブルガリア=前述)の「36歳6ヶ月7日」を最年長とする報道もあったが、これは間違い。1952年ヘルシンキ大会+87kg級のアルセン・メコキシビリ(ソ連)の「40歳3ヶ月11日」が最年長となり、ヨルダノフは歴代5位。

 1920年に60kg級の選手で38歳のチャンピオンがいるが、年長は戦前戦後を通じて重量級の選手が多い。世界的に普及した戦後で、減量の厳しい軽量級にして「36歳」の記録は驚異的なのではないか。

 ただし、同オリンピックは前日の1回計量のルール。計量が2日以上にわたるルール下での軽量級(68kg以下)のチャンピオンとなると、1988年57kg級を制したセルゲイ・ベログラゾフ(ソ連)の「32歳0ヶ月14日」が最年長(前日計量のルール)。当日朝の2日以上の計量ルールに限ると、1952年ヘルシンキ大会56kg級優勝のミリアン・ザルカラマニーゼ(ソ連)の「29歳7ヶ月11日」となる。

 早朝の2日間計量に戻った現在、30歳を超えて優勝する軽量級選手がいれば、快挙と言えよう。世界選手権では、2018年大会(ハンガリー)の61kg級で、ヨウリス・ボンネ・ロドリゲス(キューバ)が「34歳11ヶ月19日」で優勝しているが、オリンピックでは出現するか。


オリンピック・チャンピオン/年少記録(男子フリースタイル)

No. 年 齢 選  手  名 国  名 階 級 生年月日
1 19歳07ヶ月09日 Trstena, Saban ユーゴスラビア 1984年 52kg級 1965/01/01
2 19歳10ヶ月25日 Asgarov, Togrul アゼルバイジャン 2012年 60kg級 1992/09/17
3 20歳03ヶ月11日 Sadulaev, Abdulrashid ロシア 2016年 86kg級 1996/05/09
4 20歳05ヶ月24日 Oganesyan, Sanasar ソ 連 1980年 90kg級 1960/02/05
5 20歳08ヶ月16日 Batirov, Mavlet ロシア 2004年 55kg級 1983/12/12
6 20歳08ヶ月19日 Abushev, Magomedgasan ソ 連 1980年 62kg級 1959/11/10
7 20歳08ヶ月30日 Snyder, Kyle Frederick 米 国 2016年 97kg級 1995/11/20
8 20歳11ヶ月17日 Cejudo, Henry 米 国 2008年 55kg級 1987/09/02
9 21歳00ヶ月11日 Kim, Il 北朝鮮 1992年 48kg級 1971/07/25
10 21歳00ヶ月16日 Akhmedov, Bakhtiar ロシア 2008年 120kg級 1987/08/05
11 21歳01ヶ月06日 de Relwyskow, George Fredrick William 英 国 1908年 66.6kg級 1887/06/18
12 21歳01ヶ月17日 池田三男 日本 1956年 73kg級 1935/10/14
13 21歳04ヶ月22日 Saitiev, Bouvaisa ロシア 1996年 74kg級 1975/3/11
14 21歳07ヶ月24日 Yazdani Charati, Hassan イラン 2016年 74kg級 1994/12/26
15 21歳08ヶ月18日 Gatsalov, Khadshimourad ロシア 2004年 96kg級 1982/12/11

オリンピック・チャンピオン/年長記録(男子フリースタイル)

No. 年 齢 選  手  名 国  名 階 級 生年月日
1 40歳03ヶ月11日 Mekokishvili, Arsen ソ 連 1952年 + 87kg級 1912/04/12
2 38歳09ヶ月24日 Ackerly, Charles Edwin 米 国 1920年 60kg級 1898/01/03
3 38歳09ヶ月24日 Bobis, Gyula ハンガリー 1948年 + 87kg級 1909/10/7
4 36歳06ヶ月20日 Ayik, Ahmet トルコ 1968年 97kg級 1938/03/31
5 36歳06ヶ月07日 Jordanov, Valentin ブルガリア 1996年 52kg級 1960/01/26
6 36歳02ヶ月18日 Maekinen, Kaarlo Edvin フィンランド 1928年 56kg級 1892/05/14
7 35歳06ヶ月30日 Dogu, Yasar トルコ 1948年 73kg級 ※1913
8 34歳11ヶ月18日 Gehri, Hermann スイス 1924年 72kg級 1889/07/26
9 34歳11ヶ月15日 Medved, Alexander ソ 連 1972年 + 100kg級 1937/9/16
10 34歳06ヶ月20日 Atalay, Mahmut トルコ 1968年 78kg級 1934/03/30
11 34歳03ヶ月28日 Pihlajamaeki, Kustaa フィンランド 1936年 61kg級 1902/04/07
12 34歳03ヶ月03日 Richthoff, Johan Cornelius スウェーデン 1932年 + 87kg級 1898/04/30
13 33歳05ヶ月09日 Saitiev, Bouvaisa ロシア 2008年 74kg級 1975/3/11
14 33歳00ヶ月22日 Taimazov, Artur ウズベキスタン 2012年 120kg級 1979/07/20
15 32歳11ヶ月28日 Anttila, Kaarlo Johan Jalmari フィンランド 1920年 67.5kg級 1887/08/30

※1913年生まれで、以下不詳。1月1日生まれとして計算。

【記録】最年少は王旭(中国)の18歳、最年長は伊調馨…オリンピック・チャンピオン/年長&年少記録(女子)

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女子で唯一の10代オリンピック・チャンピオンの王旭(中国)

 2004年アテネ大会以来、のべ18人いる女子オリンピック・チャンピオン。最年少はアテネ大会の72kg級を制したワン・シュ(王旭=中国)で「18歳10ヶ月27日」。同じアテネ大会の63kg級を制した伊調馨が「20歳2ヶ月10日」、2012年北京大会の72kg級で優勝したワン・チアオ(王嬌=中国)が「20歳7ヶ月13日」で続く。20歳以下はこの3人だけ。

 2人の中国選手に共通するのは、オリンピックの前にも後にも世界選手権での優勝には縁がないこと。オリンピックにピークを合わせた結果を残している。王旭は2年前に銀メダルを取っているが、王嬌はオリンピック前の3度の世界選手権でメダルがなく、地元オリンピックで飛び出した“新星”。優勝記者会見では「皆さん、こんにちは。わたしは中国の王嬌です」と切り出し、自己紹介から始めたエピソードがある。

 30歳を超えてのチャンピオンは、2012年ロンドン大会48kg級優勝の小原日登美が初で「31歳7ヶ月4日」。続く2016年リオデジャネイロ大会では、伊調馨が「32歳2ヶ月4日」で最年長を更新した。伊調は、日本選手では最年少&最年長のオリンピック・チャンピオンとなる。

 来年の東京オリンピックでは、昨年の50kg級世界チャンピオンのマリア・スタドニク(アゼルバイジャン)が33歳で優勝を目指す。男子フリースタイルの項目では、早朝の2日以上計量のルール下では、軽量級の年長選手の優勝は厳しい現実を紹介したが(クリック)、その困難を乗り越え、4度目のオリンピックにして栄冠を勝ち取れるか。

 女子のオリンピック・チャンピオンの年齢は下記の通り。


オリンピック・チャンピオン/年少~年長記録(女子)

No. 年 齢 選  手  名 国  名 階 級 生年月日
1 18歳10ヶ月27日 Wang, Xu(王旭) 中 国 2004年 72kg級 1985/09/27
2 20歳02ヶ月10日 伊調 馨 日 本 2004年 63kg級 1984/06/13
3 20歳07ヶ月13日 Wang, Jiao(王嬌) 中 国 2008年 72kg級 1988/01/04
4 21歳02ヶ月13日 Vorobieva, Natalya ロシア 2012年 72kg級 1991/05/27
5 21歳08ヶ月28日 川井梨紗子 日 本 2016年 63kg級 1994/11/21
6 21歳10ヶ月00日 土性沙羅 日 本 2016年 69kg級 1994/10/17
7 21歳10ヶ月18日 吉田沙保里 日 本 2004年 55kg級 1982/10/05
8 22歳06ヶ月15日 Melnik-Merleni, Irina ウクライナ 2004年 48kg級 1982/02/08
9 22歳11ヶ月18日 登坂絵莉 日 本 2016年 48kg級 1993/08/30
10 24歳02ヶ月04日 伊調 馨 日 本 2008年 63kg級 1984/06/13
11 24歳10ヶ月30日 Maroulis, Helen Louise 米 国 2016年 53kg級 1991/09/19
12 25歳02ヶ月05日 Wiebe, Erica Elizabeth カナダ 2016年 75kg級 1989/06/13
13 25歳10ヶ月11日 吉田沙保里 日 本 2008年 55kg級 1982/10/05
14 27歳09ヶ月00日 Huynh, Carol カナダ 2008年 48kg級 1980/11/16
15 28歳01ヶ月26日 伊調 馨 日 本 2012年 63kg級 1984/06/13
16 29歳10ヶ月04日 吉田沙保里 日 本 2012年 55kg級 1982/10/05
17 31歳07ヶ月04日 小原日登美 日 本 2012年 48kg級 1981/01/04
18 32歳02ヶ月04日 伊調 馨 日 本 2016年 58kg級 1984/06/13

2030年アジア大会にカタール・ドーハとサウジアラビア・リヤドが立候補

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 アジア・オリンピック評議会(OCA)は4月23日、ホームページで2030年アジア大会の開催地に、カタール・ドーハとサウジアラビア・リヤドが立候補したことを掲載した。今年11月の総会で決定する。

 ドーハは2006年大会を開催している。イスラム教の強い国であり、当初、レスリング女子は実施しない予定だったが、国際レスリング連盟(FILA=UWW)の粘り強い交渉によって実現した。

 開催が決まれば初となるサウジアラビアは、長年にわたって女性の活動(スポーツ活動・観戦を含む)に厳しい制限をかけてきた国。2012年ロンドン・オリンピックでは、国際オリンピック委員会(IOC)憲章に違反するとして出場が認められない可能性もあったが、陸上と柔道に1選手ずつを参加させることで、辛うじて出場が認められた。

 最近は規則をゆるめ、女子サッカーリーグを立ち上げるなど、ようやく女性のスポーツ参加の道が開けてきた。イランと同じく女子レスリングの実施には程遠いようだが、昨年、世界最大のプロレス団体WWEが女子の試合も行うなど、急速に変化しているもよう。

 アジア大会は、2022年は中国の杭州、2026年は愛知県と名古屋市の共催で行われることが決まっている。


【訂正】バレンチン・ヨルダノフの「36歳6ヶ月7日」は歴代3位

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 4月24日掲載の「オリンピック・チャンピオン/年少&年長記録(男子フリースタイル)」の記事中、1996年に「「36歳6ヶ月7日」で優勝したバレンチン・ヨルダノフ(ブルガリア)を歴代5位としましたが、上位選手に誤りがあり、「歴代3位」でした。

 お詫びして訂正します。年長記録は下記の通り。


オリンピック・チャンピオン/年長記録(男子フリースタイル)

No. 年 齢 選  手  名 国  名 階 級 生年月日
1 40歳03ヶ月11日 Mekokishvili, Arsen ソ 連 1952年 + 87kg級 1912/04/12
2 38歳09ヶ月24日 Bobis, Gyula ハンガリー 1948年 + 87kg級 1909/10/7
3 36歳06ヶ月07日 Jordanov, Valentin ブルガリア 1996年 52kg級 1960/01/26
4 36歳02ヶ月18日 Maekinen, Kaarlo Edvin フィンランド 1928年 56kg級 1892/05/14
5 35歳06ヶ月30日 Dogu, Yasar トルコ 1948年 73kg級 ※1913
6 34歳11ヶ月18日 Gehri, Hermann スイス 1924年 72kg級 1889/07/26
7 34歳11ヶ月15日 Medved, Alexander ソ 連 1972年 + 100kg級 1937/9/16
8 34歳06ヶ月20日 Atalay, Mahmut トルコ 1968年 78kg級 1934/03/30
9 34歳03ヶ月28日 Pihlajamaeki, Kustaa フィンランド 1936年 61kg級 1902/04/07
10 34歳03ヶ月03日 Richthoff, Johan Cornelius スウェーデン 1932年 + 87kg級 1898/04/30
11 33歳05ヶ月09日 Saitiev, Bouvaisa ロシア 2008年 74kg級 1975/3/11
12 33歳00ヶ月22日 Taimazov, Artur ウズベキスタン 2012年 120kg級 1979/07/20
13 32歳11ヶ月28日 Anttila, Kaarlo Johan Jalmari フィンランド 1920年 67.5kg級 1887/08/30
14 32歳10ヶ月16日 Poilve, Emile フランス 1936年 79kg級 1903/09/19
15 32歳10ヶ月10日 Anderberg, Olle スウェーデン 1952年 67kg級 1919/09/13

※1913年生まれで、以下不詳。1月1日生まれとして計算。

きょう午後、ウェブ会議で開催可否を協議…今夏のインターハイ

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 全国高校体育連盟(高体連)は、新型コロナウィルス感染拡大のため、きょう4月26日午後、ウェブによる臨時理事会を開催して今夏の全国高校総合体育大会(インターハイ)の開催可否の判断を協議することになった。

 今年のインタ-ハイは、東京オリンピック開催の関係で、通常より遅い8月中旬すぎに北関東を中心に開催される予定だった。レスリングは8月21日(金)~24日(月)に群馬・ダノン城沼アリーナ)で予定されている。

 今年は2月までの地区選抜大会(全国高校選抜大会予選)は開催されたものの、3月下旬の全国高校選抜大会(新潟・新潟市体育館)は中止。日本協会主催となる4月のJOC杯ジュニアクイーンズカップ(東京・駒沢体育館)とJOC杯全日本ジュニア選手権(神奈川・横浜文化体育館)や、各県・地区の総合体育大会も軒並み中止。試合の場がなくなっている。

【訃報】北海道協会顧問・赤松則克さん

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 旭川レスリング協会の顧問を務めていた赤松則克さんが4月24日午後2時55分、老衰のため死去されました。93歳。

 旭川北高校~早大卒。旭川商業高や旭川大高校でレスリング部の顧問を務め、のちにオリンピック金メダルに輝く吉田義勝さん(1964年東京大会)や加藤喜代美さん(1972年ミュンヘン大会)をはじめ、多くの強豪選手を育てた。北海道協会の元常任理事。

 通夜は27日(月)午後7時から、告別式は28日(火)午後9時から、いずれも旭川市の大雪葬祭ファミリー斎場で(コロナウイルス拡大のため、場外でのお参りとなります)。喪主は妻・英子さん。

《速報》今夏のインターハイは中止

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 全国高等学校体育連盟は4月26日、ウェブで臨時理事会を開き、今夏に北関東ほかで開催予定だったインターハイの史上初となる中止を決めた。

インターハイ、史上初の中止へ…選手らの安全が最優先

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 全国高等学校体育連盟(全国高体連)は4月26日、ウェブ会議による臨時理事会を開き、新型コロナウイルス感染拡大を受け、今夏に北関東ほかで分散開催される予定だったインターハイの中止を全会一致で決めたことを発表した。

 競技だけでなく、移動や宿泊による感染リスクが大きく、生徒らの安全最優先での判断だという。インターハイが中止になるのは史上初めて。

 代替策として、安全に部活動が実施できる状況になった場合、最終学年の生徒が成果を発表できる場や大会の設定などの検討を、各都道府県高体連に要望する方針を明らかにした。

 レスリングは8月21日(金)~24日(月)に群馬・ダノン城沼アリーナで開催される予定だった。東京オリンピックの関係で、当初予定の北関東での会場や宿泊施設の確保が難航し、いくつかの競技が東北や九州での実施となるなど異例の広域開催の中で、早くから群馬開催が決まっていた。

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